これは1960年代のラジオ関東(現:ラジオ日本)で放送されていた「昨日の続き」という番組の最後のところで必ず語られる台詞。
この番組は保富康午(いなかったかな?)、はかま満夫、永六輔、前田武彦、大橋巨泉、といったところがメンバーだったという記憶。もちろん入れ替わりの登場で、通常は女性一人、男性二人というのがレギュラー。
女性は初代が誰だったかも忘れているんだけれど、先週の永六輔の土曜ワイド・ラジオ東京で、永さんはその名前を云っていましたね。富田恵子は確か草笛光子の妹だったんじゃないだろうか?そんな思いこみを今でも持っている。草笛光子は当時横浜に住んでいたはず。(今は?)
1966年の夏、私は浪人をしていてつまらない夏を送っていた。この番組と、ケン田島の「ポートジョッキー」VANジャケット提供の「アイビークラブ」なんてものを追いかけてラジオを鳴らしていた。
「昨日の続き」がなぜかその頃未だ茅ヶ崎にあった「パシフィック・ホテル茅ヶ崎」で公開録音をすることになった。はがきを出したら、招待状というのがやってきた。おもしろいから憂さはらしに出かけた。当時はビーチに遊びに行くなんてことを考えもしないから、洒落た海パン(言葉がフル〜っ!)もなくて、高校の授業で穿かされていた真っ白の海パンだった。(学年色が白だとかで、男子は白い海水パンツで泳がされていた。今から考えるとひでぇ話である。)
前田武彦がインタビューをするんだけど、僕を掴まえて、「いやぁ〜まっちろいねぇ!僕の大好きな豆腐みたいだよ!」と云ったのをはっきりと覚えている。で、しかもそれがそのままオンエアーされていた。浪人の時だったから誰も知り合いに会うわけでもないし、誰からもなんの反応もなく、これはそのまま終わったエピソードで、全然つまらない。
放送作家がタレント化するきっかけというのはこの頃のことではないだろうか。今度の参議院選挙にまたまた出馬すると云っている青島幸男は何を考え違いしているのかよくわからないけれど、彼が若い時にやってきたことは非常にチャレンジャブルで、面白い。
だけど、東京知事になってからの彼は全く面白くなくなった。面白い役を降りたんだから、それで良いのかも知れないけれどね。