ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あ、文化放送はそうだったんだぁ!

ニッポン放送のことがいろいろ報道されている中で、関東地方ではニッポン放送TBSラジオに挟まれている文化放送ってどうなっているんだろうとふと思った。

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-050216-0018.html
日刊スポーツ[2005/2/16/08:05 紙面から]
文化放送は00年〜01年にかけて、当時の筆頭株主だった旺文社グループから自社株すべてを買い取った。保有していたフジテレビの株式11万株を売却し、調達した資金を原資にした。当時、旺文社グループが文化放送株の6割強を占めており、特定企業による支配色をなくすための株式再編だった。現在の筆頭株主聖パウロ修道会で20%強を保有小学館講談社大日本印刷が主要株主になっている。

なぁるほどなぁ。だから、“旺文社提供「大学受験講座」”というのが文化放送から流されていたというわけなんだ!旺文社は一体いつ頃から文化放送の株主になっていたんだろう?良く解明できないなぁと思ったらWikipedia文化放送の項目があった。これが凄い!

マスメディアによるカトリックの布教を目的として「聖パウロ女子修道会」が計画。1951年1月に東京ラジオセンター、ラジオ東都との免許申請一本化して「財団法人日本文化放送協会」が1952年3月31日に本放送開始。労働争議の連続で、株式会社文化放送が1956年に設立されて肩代わり。その時から旺文社が株主の一員。そこで1958年から「百万人の英語」「大学受験ラジオ講座」始まる。1957年のフジテレビジョンの設立にはニッポン放送と共同であったので、そこからフジサンケイグループ。しかし、産経新聞と東急が持ち株を旺文社に売却で、旺文社つながりで当時の日本教育テレビ(現テレビ朝日)に接近。大学受験ラジオ講座が終わったのが1995年。2001年にフジテレビジョン株を売却して旺文社保有株を買い取り、旺文社との縁を切る。

 かつてニッポン放送文化放送で両方の電波を使ったAMステレオ実験放送が行われていたことがある。あれは多分1960年頃のことだと思う。「右のラジオをニッポン放送、左のラジオを文化放送に合わせ、これから送られる音が中心から聞こえるように調整してください」というものだった。つまりラジオが二つないと聴くことができなかったものである。
 考えてみると旺文社の営業範囲というのもずいぶん変わってしまったらしい。今や三菱商事の元での再建中。世の中の先端を走っていたはずだと思っていたけれど、いつのころから過去の栄光に寄りかかって前進を忘れていたんじゃないんだろうか。日能研、進学ゼミ、あるいは予備校などの多角化に比べて、メディアを抱えていたにもかかわらずその使い方を誤ったのかも知れない。なんだか、ライブドアだったらどうだったんだろうとか考えそうになる。

 復刊コムで、大学受験ラジオ講座のテキスト復刊希望!しているのが18人いることを発見してしまった。先日同学年のおっさんと話していて想い出した。数学の勝浦捨造先生の「ここにはちぃさな○を付けておきましょう!忘れては“困る(小○)”という意味です」という台詞と声は今でも想い出すことができる。そういえば「中学生の勉強室」というのもあったんだけれど、あれはどこだったんだろう。そして、最近テレビの宣伝を見ていてびっくりしたのは「Z会」(学力増進会?)ってのは今でもあるんだねぇ〜!?驚いちゃいました。かつてあの添削は何回かやったことがある。ものすごく丁寧に赤ペンで書いてきてくれた。しかし、あのペースは結構凄かった記憶がある。それにしてもどんどん需要が減っていくわけだろうにこの業界はどうやって生き残っていくのだろうか。今はまだ適当にやっているところがあるけれど、これからはリカレント教育として大学に戻ってくる中高年が増えるだろうから、そのためになる何らかの事業を考えるといけると思うんだけど・・・絶対量がなぁ・・・。