ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 どこへいっても、といっても三カ所しか廻っていないけれど、手に入らない。私はTBSラジオが昔から好きだったので、是非読みたい。武田砂鉄が各番組のキャスターにインタビューをしている。そういえば、かつては土曜日といったらTBSラジオの「永六輔の土曜ワイド」だった。今では午後の文化放送伊東四朗吉田照美、親父熱愛」である。それにしても伊東四朗はいつまでも元気だよねぇ、今でも現役バリバリなんだから。荻上チキの番組を夜から夕方に移した理由が良くわからない。はっきりいって、聞きにくくなった。それに文化放送の「斉藤一美 ニュースワイドSAKIDORI!」とかぶってしまった。もっともいまではradikoで後から聞けば良いのだけれど、こっちの時間だって24時間しかないのであって、この種の番組は「ながら」で聞いているとまた聞き逃がす。わたしはどちらかというと、こういう番組は寝っ転がって聴きたい。
 その上、荻上チキの番組が移動したあとが「アシタノカレッジ」という番組で、そんなことをいっては申し訳ないけれど、パーソナリティを担当しているキニマンス塚本ニキという、日系NZ人か、NZ系日本人の女性があんまりなじめない。若いということもあるんだろう。つまり、TBSとしてはこの時間帯以降は「若者時間」だということだろう。但し、金曜日だけは、この番組の担当が武田砂鉄になって、後半からはTBSラジオ記者の澤田大樹記者が加わるので、番組終了後のYouTubeまで付き合っていることが多い。

 岩波現代文庫・六代目圓生コレクションの四冊目。日本橋丸善にて入手。各地にあった圓生の時代のそれぞれの寄席について書いてある。随分たくさん寄席があったものである。行ったことはないが、人形町に末廣があったくらいしか知らない。そんな時代に生まれていたら楽しかったんじゃないかなぁ、とも思うし、そんな時代に生まれていたら、戦争に連れてかれて、死んじゃったんだろうなぁと思うと、イヤだし、世の中、そう巧くは事は運ばない。むしろ、おかげで随分と良い時代に生まれたと云うことなんじゃないかと思う。
『追記』
 かつて横浜駅西口にあった相鉄文化会館の相鉄演芸場に触れてあったのは嬉しかった。私が初めて林家三平を見たのはここだった。当時の相鉄の社長が落語が好きで、志ん生と懇意だったと書いてある。開場は昭和34年か、というがその社長が死んでしまって2-3年で映画館になってしまったらしい。だとすると私が行ったのはそろそろ終わりの頃のことだろう。

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 メトロ通りにやってくると、妙に大きな音でお囃子が聞こえてきて、まるでこれじゃ祭りじゃないか、来年の祭りはできるのかなぁと思っていたら、大きな音なわけで、生演奏だった。蕎麦屋の前で大神楽と、獅子舞をやっていた。
 そういえば、今年の初めに他界した鏡味仙三郎の社中が正月に獅子舞を流しているところに日本橋で遭遇したことがあった。今は仙三郎の弟子の仙志郎と仙成が二人で高座に立つ。私はやけに彼等に遭遇する機会が多いんだけれど、それは多分彼等と金原亭馬生一門との関係なんじゃないかという気がする。

 今日の大神楽は「丸一仙翁社中」だったそうで、「浅草伝統文化まつり」の演し物で各商店街を巡ったらしい。