ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日曜日

夜中にネットを見たら、神田沙也加が死んだと、ひょっとすると身投げだと、出ていた。
そういえば昨日は土曜日だから、神田正輝は例の旅行番組に出ていたんじゃないか、と思ったら、正にあの番組のあとで、娘から誕生祝いの電話を貰ったという。それを最後に身投げをしたってことだ。
どうしちゃったんだろうね、と思うが人のことはなまなかなことではわからない。

そういえば神田正輝って人の母親は旭輝子といってSKD出身だと聴いたことがあるけれど、ほとんど覚えていない。あの年代の女優といったら、淡島千景高峰秀子越路吹雪だろう。

午後は白水先生の社会人セミナーがあって、2002年にNHKが放送した「幻の大戦果」というドキュメントを見た。

1944.10.10 米軍は艦載機によって沖縄を爆撃する。

10.12〜17に日本軍は台湾沖の米軍艦隊への攻撃を展開する。
この時期の海域には台風が頻発する。そうなれば、空母から発信することはできない。その間に攻撃を敢行する。これを「T作戦」と命名する。(そんな状況でも日本軍の戦闘機は発進できるんだろうか?)
パイロットは潤沢ではないので、陸、海軍が合同して攻撃するが、パイロットの習熟度からいうと、4段階の最上クラスはわずかに全体の16%に過ぎず、最低クラスが40%に上る状況だった。
10.12は台風は来ていないが、低く雲が垂れ下がる。夜間の攻撃であれば、敵に感ずかれないだろう。照明弾を打って照らし出されている間に攻撃をするという。ところが雲が低いから、雲の下に出て打った照明弾は、照らしている時間が短い。敵を発見できずに、燃料切れで「自爆する」機が続出。低空を飛ぶから対空砲火の餌食になる。この日99機出撃して54機が未帰還。本当に成果を確認できない。それでも「火柱を認む!」等報告する。
10.13 ではと薄暮に攻撃する。容易に敵に発見される。敵の被害を確認できなくても、「魚雷を落としたんだけれど、当たらないなんて報告できないわけよ」。
10.14 昼間の攻撃、380機出撃。240機帰還せず。最初に5隻の敵空母を発見したが、その後見失い、次に発見したときは空母が2隻だったから、その差の3隻は撃破したんだと報告。
大本営は陸軍部と海軍部に分かれているが、お互いに全く情報の交換なんぞ行われていないどころか、お互いを敵視していたくらいだから、台湾沖海戦のでたらめ戦果報告以降、大本営の発表はどんどん幻の大戦果発表になっていった。

この時の様子は陸軍の情報将校、堀栄三の「情報なき国家の悲劇: 大本営参謀の情報戦記」にも克明に書かれている。

そんな「大本営発表」を必至に短波ラジオにしがみついて聴いていた地球の裏側の日本人移民達はもちろん信じることになる。従って、1945.08.15になって突然天皇陛下玉音放送で「敗戦だ!」と聴かされても、あぁそうですかとは信じられない。敵の謀略放送だ、天皇陛下が軍と共にブラジルまでわれわれを迎えに来ると噂が飛び、確かに戦争には負けたという、いわゆる「認識派」は不敬であると、1960年代まで、尾を引く結果となる。