散歩は隣の区の図書館へ本を返しに行くところから始まった。
行ってみるとそうそう、今日は月に一度の休館日で、ボックスに放り込んできた。
今日こそ「TBSラジオの公式読本」を見つけんとて、地下鉄で日比谷に出る。
いつの間にか「二重橋前」という駅が「二重橋前 丸の内」という呼称になっていて、表記だけかと思ったら車内アナウンスまでそういっている。知らんうちに変わる。そういえば、丸ノ内線の銀座だって、昔は西銀座だったし、銀座線には昔は「表参道」なんて駅はなくて、「神宮前」だった。尤もこの駅もその昔は「青山6丁目」だった。しかも、あの「神宮前」の駅は今やそのまま地下に放置されているってんだから、このヤロー!である。私たちは「表参道」なんて駅は使ってなかったわけだ。そういえば青山通りを明治通りの方へ曲がると、ダラダラ下がる坂で、右手に同潤会アパートがこれまたダラダラと連なっていた。あんなところへ何しに行ったんだというと、「キディ・ランド」がオシャレだったのである。なんだろうね、そのオシャレってのが。いったい、誰とそんなところへ行ったんだろうか。多分、学校の帰りに山手線を原宿で降りたんだろうなぁ。
あ、いや、それで日比谷である。
いつもは一番霞が関よりの階段を上がって日生劇場へ出た。ところがここで改札を出て階段下に来てみて驚いた。随分と長い階段だ。こんなにあったのか!?40年前はこんな階段、なんつうこともなく、トントンと駆け上がって日生劇場の前から東京宝塚劇場の楽屋口を見ながら、ガードをくぐって盛り場に入っていった。今では、この階段はキツい。上がりきってからしばらく息を整えた。日比谷公園はなんと今年もクリスマス・マーケットである。コロナ禍だというのに。だいたい、なんでこの国でクリスマス・マーケットなのかと息巻いてしまう。それにしても日本のクリスマスは随分早くからコマーシャリズムに毒されていたそうで、明治30年代にはもう既にクリスマス大売り出しの宣伝があったらしい。昔から乗りやすい民族だ。
泰明小学校前の路地に入ると、もはや知っている店は、中華の東生園と日本蕎麦の泰明庵くらいしかなくて、まるで知らない街にやってきたかの如し。ほとんど毎晩のようにフラフラしていた路地だが、もはや門外漢となってしまった。
教文館でくだんの本がないかと聞くと、調べるまでもなく、切れているという。ならばと八重洲ブックセンターに脚を伸ばすも、「売り切れています」とにべもない。
エドグランが5周年だそうだ。「京すし」がランチのテイク・アウトをやっていると書いてある。宝町から地下鉄で帰る。9千歩。