ほぼ足りてまだ欲 その先

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九軍神

戦後50年メディアの検証

戦後50年メディアの検証

 今の若い人たちが知るわけもないけれど、1941年12月8日真珠湾を旧帝国海軍が爆撃した時、特殊潜行艇5隻が真珠湾に侵入したと大本営が発表したのは翌年の3月6日になってからのことだと書いてある。
 このときに乗り込んでいた兵士、9人が二階級進級し、「九軍神」と呼ばれたという。しかし、このとき大本営の発表文そのものにはそんなことは書いていない。報知新聞記者から当時海軍報道部嘱託だった男が自分が発表時の参考資料にそう書いた、と証言したのだそうだ。
 読売新聞は「特別攻撃隊を讃える歌」を募集。二週間に8,973もの応募があったそうだ。獅子文六が本名の岩田豊雄朝日新聞に連載小説を掲載した。
 乗り組みの残りの一人が捕虜となり、ハワイの捕虜収容所にいたことは全く触れられなかった。東京日々新聞の海軍担当記者、後藤基治は著書「海軍報道戦記」に海軍報道部の富永謙吾参謀に「二人乗り組みの筈なのになぜ一人足りないか」と尋ねると「うむ、一人乗りが一隻だけあった、のかな、詳しいことはまだ聞いていない」とのみこたえたそうだ。捕虜になった酒巻和男は戦後ブラジルのトヨタで役員になり、1983年に帰国後も取材にこたえることはなかったらしい。
 なんでも全国紙に「軍神」と書かれたのは、この他には加藤建夫隼戦闘隊とアッツ島全滅の山崎保代部隊の三件だけ。しかし、地方では天皇に報告されたら軍神と呼んだらしく、その数陸軍486件、海軍59件になるそうだ。
 昔は直ぐさま神様になっちまうんだね。