ほぼ足りてまだ欲 その先

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散歩

 今日の散歩は新宿で、6,780歩。大したことはなかったな。なにしろ小田急ハルクの中をあぁでもない、こうでもないと歩き回っていただけだから。
 保阪正康の話を聴きに行く。
 杉山元参謀総長時代に会議(御前会議・大本営政府連絡会議)の内容などを記したメモランダムの写しとして参謀本部編『杉山メモ 大本営政府連絡会議等筆記』(上、下)というものが1967年に原書房から刊行されていて、これが2005年に普及版として復刊されている。(一冊6000円もしてとても買える代物ではない。)
 この中に12月1日、開戦間近の御前会議で昭和15年6月に枢密院議長に就任していた原嘉道の発言が記録されている。原は陛下の名代で出席していて、既に決まっていることだから特に申し上げることもないが、質問があるといってあれはどうか、これはどうかと次々に糺す。
 相手は軍備の増強をしていると聞くが大丈夫か、と聞くが永野は「増えているようだが、何ら作戦には影響ありませぬ」と答えている。
 防空演習をしているようだけれど、空爆の時は東京のような建築物で火を消し止めることができるのか、対策は講じてあるのかと聴くと鈴木が「食料は充分にあり、焼け出されたら他に避難する、残る必要のあるものには簡易な建築を準備している」と答えるも、「考えだけでは適当ではありませぬ。準備は不完全だと考えます。これに就き充分なるご準備を願います」とコメントしている。
 この他にも数々の不安な点を列挙して憂いていうのだけれど、既に決断されてしまっている開戦、即ち真珠湾攻撃を前に、これ以上もういってもしょうがない、でもとにかくいっておくけれど、「国内人心の安定に関し一層お骨折りを願いたいと存じます」と終わってしまう。そしてあとは戦争へまっしぐらだ。
 問題はここのところなのだろう。いろいろ問題があって指摘はする、指摘はするけれどだからそれを徹底的に追求して議論することなくそのまま通り過ぎる。持ち時間が限定されている国会の委員会質疑答弁のようではないか。東電、経産省の今の合同記者会見のようではないか。追求する、しかし、時間切れでそのまま終わる、あるいは答える側が追求に対してレスポンスをしないでいるうちに司会者が次の発言者を指名して通り過ぎていく。全く同じことではないのか。
 日本というこの国があの戦争に踏み切っていった絡繰り、成り行き、力関係、本当の目的といったものを追求してきただろうか。
 保阪によれば開戦時、在ワシントン日本大使館では何が起きたのか、についての調査についてはこれまでに少なくとも二度行われてきたという。
 1942年になって日米交換船(何度も書くが、これに鶴見俊輔や姉の和子も乗ってきた)が帰ってきたときに開戦時の外交官・来栖三郎が米国内においてなにゆえ真珠湾が攻撃を受ける結果となってしまったかについての検証がされていたことを報じる新聞を持ち帰ってきたので、日本では米国がこういうことをするんだということはわかっていた。この時にハワイ駐在軍の高官が更迭されている。で、日本でもなにゆえ事前通告なしで真珠湾を空襲することになったのかについての検証がなされたが、現実的には「行け行けどんどんムード」の中で、そんなことはどうでも良いじゃないかという雰囲気に流されしまったというのだけれど、これは宜なるかなと思わせる。
 そして、戦後、幣原/吉田時代に外務省に岡崎委員会というものが組織されて、この検証を行い、報告書が作られているはずであるが、外務省は今に至るまで、その存在を否定し続けている。ここに日本の役所のアーカイブに対する考えが滲み出る。彼等にとってはそれはこの国の財産ではなくて、彼等の私物だと思っているかの如くだ。痛くもない腹を探られたくない、ア、いや、外務省が「卑怯者」の汚名を創り出したということになっているから、既に痛いのか。
 この「岡崎」は後に衆議院議員となり外務大臣までやった岡崎勝男のことだろうか。