昨日の保阪正康は開戦詔書と終戦詔書を取り上げていた。もちろん天皇自身が最初から書くわけではなくて、開戦詔書については陸軍と海軍のそれぞれの若手、といっても40歳前くらい、のふたりがたたき台を書いたのだそうだ。そのうちのひとりから保阪は直接話を聞いているという。
それを徳富蘇峰や山中峯太郎といった人々が手を入れ、それをようやく天皇にお目に入れ、最終的に仕上がりとされたのだそうだ。開戦詔書にはたった二カ所、天皇が自ら手を加えた箇所がある。「豈朕が志ならむや」を加えたこと。そしてもう一カ所は「東亜永遠の平和を確立し以て帝国の威光を内外に発揚せむことを期す」を「以て帝国の光栄を保全せむことを期す」としたことだそうだ。
この項、後ほど追加。