ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あっ!

 まったく忘れておりました。昨日はなんで休みなんだったかといえば元々は昭和天皇の誕生日ってことでしたよねぇ。その後「緑の日」とかって誤魔化しがあって、その実態は!ッてんで「昭和の日」なんてぇことになってございますな。なんと「みどりの日」はその時に紛れて5月4日になっちゃって、さぁどうだ、これで繋がっただろ!といういい加減さでございますな。なぁに、休みが増えるってんで誰も彼もが諸手を挙げて歓迎でございました。私もでございますよ。
 じゃ、大正の日とか、明治の日ってのはどこかにあるんですかい?ご隠居!てぇことになりますが、明治の日ってぇ名前はついてはおりませんけれど、今、文化の日っていっているのが明治天皇の誕生日でございますよねぇ。今でこそ建国記念日だなんていっておりますが、2月11日は紀元節といって、神武天皇の誕生日だてぇことになってございますよ。みんな世を忍ぶ仮の姿となってございますが、昭和の日に習ってこれから、どんどん昔の姿に変えていこうというのが安倍晋三を使いっ走りとして動かしてございます日本会議の皆様のお考えなんでございましょうねぇ。そのうちみんなで揃って歌わされることになろうかと思いますよ、「紀元節の唄」を。

 さすがにこの唄は頭のところしきゃ聴いたことがありません。
 しかし、こっちの唄は耳にしっかりと残っておりますよ。戦後の生まれの私がなんでこの唄に馴染みがあるのか、まったく理解に苦しむのですが、多分おふくろが口ずさんでいたのか、あるいは戦争映画なんかでこの歌を唄う場面が出てきたのか、まったく自分でもわからないのですが、紀元節の唄がダークダックスで、こっちが藤山一郎安西愛子であるのを見ると当然バックの伴奏の音質の良さから見て、戦後に録音しなおしてあるわけですから、それだけの需要がずっと続いていたというわけですよねぇ。

 話がずれてしまいましたけれど、大正天皇のお誕生日というのは8月31日です。この日がお休みになった形跡というのは戦後まったくございません。勿論大正時代には「天長節天皇の誕生日)」として当然祝われたはずでございますが、なんでも夏だからといって10月にやったなんて話もございます。
 大正天皇の在位は非常に短かった上に最後の5年間は昭和天皇がまだ皇太子のまま摂政宮となりました。あの時代は実は大変に安定した良い時代だったと保阪正康が解説をしていますが、とかく、大正天皇は国会の開会に来て詔書を丸めて遠めがねにした、と噂されてそれがそのまま今にまでしたり顔で語られたりしていますが、大変に文学的な天皇だったといわれております。病気だ、病気だと喧伝されて、皇太子に摂政を任せたってぇことになっております。でも、だからって、どうして大正天皇だけ、誕生日がお祝い日になってないんすか?未だに安倍晋三を使いっ走りにする日本会議の皆さんからも遠ざけられているんですかねぇ。
 いや、そんなことをいったら万世一系の歴代の天皇さん全員の誕生日を祝日にしなけりゃならなくなっちまわないんですかねぇ。そうなるとこれは大変でございましょう。
 それでこのまんまになっているんですかねぇ。