ほぼ足りてまだ欲 その先

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だまし討ち

 日本の海軍の暗号はもうとっくのとんまに米国軍によって解読されていたものだから、真珠湾攻撃の中身は米国は熟知していたんだといわれている。米国はあの攻撃を知っていたのに黙ってみていたのだそうだ。その結果、帝国軍が宣戦布告もせずに真珠湾を攻撃することになり、犠牲になった米国民は自国によって犠牲になったというのだ。
 だとすると、ワシントンの在米日本大使館の連中が海軍出身の野村大使と日頃から不仲でろくなコミュニケーションも取らずにいて、あの日も翻訳に手間取って約束の時間を一時間も遅くなってしまったという事実は、いったい誰が仕組んだというのだろうか。野村が大使館の外務官僚に頼ることなく、自前で雇っていたという現地採用の日本人が約束の時間に遅れるように仕向けた、とでもいうのだろうか。
 そこの解説がどうしても納得がいかないのだ。
 帝国陸海軍ともに情報戦についてはまったく重きを置いていなかったことは様々な資料を見ると明らかで、どうやら、そのような行為は武士道にもとる、卑怯である、という感覚を持っていたのではないかとすら解説する人までいる。
 その裏付けは捕虜についても見て取ることができる。カリフォルニアに作られた日本兵捕虜の尋問施設について書かれた本によっても、MIAの関連資料によっても、彼らの証言によっても、帝国陸海軍は捕虜になるくらいなら死んじまえとはいっていたけれど、生きて捕虜になったらこういうことに気をつけろとは教えていなかった。訓練としてはそんな後ろ向きの訓練なんぞしてはならなかったのだろう。ここのあたりが例の原発の思想にそっくりだ。もしもの時のことなんぞ、何しろ原発は誠に安全なのだから語る必要がないとずっといってきた。
 多くの日本兵が誠に几帳面に従軍日記をつけていた。ポツダム宣言受諾直後、日本の各組織は大本営からの指示に従って多くの資料を一夜にして燃やしてしまった。それが後に自分の首を絞めるとは思わずに。しかし、こうした従軍日記の多くは戦場で拾われ、生きて捕まった捕虜の口からも事細かに語られた。
 捕虜になったらどんなことをされるのかと恐れ、全く口を割らずに、隙さえあれば自害しようとしていた捕虜も、非常に流ちょうな日本語でちょっと丁寧に取り扱われると簡単に口を割ったと記録されている。しかも、一度口を割るととことん情報を提供したというのだ。その証拠に三菱重工の名古屋工場の配置について実に克明な配置図が残されていたというし、驚くべきことに皇居内の建物配置についてすら米軍は把握していたという。
 戦争は騙しあいであり、殺しあいであり、何も綺麗なことはない。あたかも軍事将棋をやっているかの如き覚悟で人間の命を自分の手駒かという程度の感覚で精神論を振り回してきた連中は後のことを全く考えていなかったといって良いだろう。何しろ戦争の落としどころなんて誰も考えていなかったのは明白だ。最後は人海戦術で破綻してしまうやり方と、プロジェクト・マネジメントと覚しきやり方ではどうしても差が出るだろう。
 その割に、その後のベトナムイラクアフガニスタンのやり方がなんだかまるでとことん人海戦術的になってしまった米国の戦争はいったい何が原因だったのだろうか。

トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所 (講談社文庫)

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