12月8日は日本にとっては真珠湾攻撃の日として記憶に深く、深く刻みつけられている。
米国では12月7日日曜日だった。
当時日曜日といえば、安息日だから、みんなのんびりのんびりする日だ。
NHKは8月15日と共に戦争のドキュメントが一番たくさん放送される時である。
12月3日に放送されたNHKスペシャル「真珠湾の謎 ~悲劇の特殊潜航艇~」は2009/12/6 に初回放送された番組の再放送か、再々放送だろう。何度見ても新しい発見がある。
特殊潜航艇のうちの一隻に酒巻和男は乗っていて、座礁して気を失っているところを米軍に捕虜とされ、最初の捕虜は彼だといわれている。共に同乗していた稲垣清二等兵曹は行方不明となった。なにしろこの潜航艇(米軍はbaby submarineとか、midget submarinと呼んでいたようだ)は母艦から発信されたときに、既にジャイロが壊れていたというのだから、致命的な状況を押して出撃したという時点で、既に大日本帝国海軍としては、はなはだお粗末の極みである。失敗は失敗として認めないというのは効率的な軍の運営としては間違っている。当時の陸軍だって、海軍だって、間違いだらけである。その酒巻和男だが、彼は戦後日本のかの有名な自動車会社で働き南米の某支社長までやった。ハワイにはのちに捕虜収容所ができ、彼もその収容所にやってくるのだけれど、かなり評判が悪かったと、捕虜収容所で彼等を担当し、戦後関西のキリスト教系の大学で教鞭を執った米国人が書き残している。
5隻の特殊潜航艇は結局何の戦果も上げられなかったのだけれど、手柄をひとつくらい彼等に与えてくれと海軍内では声があったそうだけれど、論理的に無理だ、と淵田美津雄は断ったと、彼は書き残している。