ほぼ足りてまだ欲 その先

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1983年11月23日

 私は高校一年の秋。三田にある慶應義塾大学三田祭に行った。二学年下の近所の友達が慶應の普通部(中学)の二年生で三田祭に行かないかというので一緒に行った。何をしに行ったのかというと私は落語研究会を観にいった。今現在慶應落研がどうなっているのか知らないが、この年に初めて行って以来、私はなぜか毎年落研を観にいった。二年後に高校に自分で落研を造った。とは云っても一年下の小柳君というのが音頭をとって最上級生だった私はただそれに乗ったといって良いだろう。彼は高校二年のくせに「死神」を高座にかけるくらいの芸達者であった。今頃どうして居るんだろうか。私はといえば、最年長でトリのくせに寄合酒やら時そばなんてものをかけていた。ともかく、あの日はそんなことで自宅があった私鉄の駅から乗換駅に行き、国電に乗り換えようとすると柱に何やら貼ってあり、それを読んでケネディ大統領の暗殺を知った。ま、当時の高校生としても問題意識の低い私はさほどの関心を持つはずがないのだが、直前の高校での学校祭で英語部の私は、ケネディの就任演説をそのままそらんじて演説してみるという行為に及んでいたので、他人事ではなかったのだと思う。ドキドキしながらも慶應落研に向かい、なんと5時間学生たちの落語を聞いていた。プロの寄席に入るのは金が要るが、学生の落語はただである。それにしても腕を組んで笑いもせずにじっといつまでも座っている高校生は当時の大学生から見たら気持ち悪かっただろうなぁ。当時の私としては大変に貴重なお休みの日だったはずで、何しろ毎週日曜日は英語の塾があったからこんなことはできなかったわけである。そういえばこの時期は毎年結構寒かったものだ。