ほぼ足りてまだ欲 その先

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JFK

 今まで気がつかなかったのだけれど、JFKが暗殺されてから今年が満50年になるのだそうだ。もうそんなに経ってしまったのかとしばし思考が停止してしまうほどである。
 あの年、私は高校一年生だった。都立高校は当時は学区制といって、自分が志望する高校を受験するけれど、点数が足りなくて不合格になると、学区全部の定員の中に順位が入っていると合格者が定員に足りていない高校を志望することができる制度だった。つまり一発勝負ではなかったのだ。そんなわけで学区内の偏差値でいうと4番目といわれる学校を不合格になった私は二次募集していた4つの高校のうちの一つに入学した。二次募集校の殆どは元高等女学校だった学校で戦後18年も経っていたのにまだそんな評価であり、逆にその良き雰囲気を残していた。つまり、ガツガツしていなかった。
 放送部とESSに所属していた私はその年の秋の学校の文化祭でJFKの就任演説を講堂の行事でそのままそらんじて見せたばかりだった。ただそらんじただけで、今から考えると若さの至りだけれど、あれを誰が思いついたのか全く記憶がない。自分でやろうと思って提案してやったのだとはとても思えない。あの有名な“And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country.”もそらんじたはずだけれど、記憶にない。確かにこの分はリズミカルで説得力があるのだけれど、よく考えると、行政の責任転嫁だ!といわれても仕方がないような気がするし、戦争中のアンクル・サムが見る人を指さすポスターを思わせないでもない。
 あの朝、わたしは港区の某大学の文化祭へ出かけようとしていた。その大学の落語研究会は当時学生落語の中でも群を抜いて巧いと思っていたので、二日連続で学生落語を聞きにいったのだ。横浜駅東横線から京浜東北に乗り換えようとすると、工事中の柱にビラが貼ってあって「号外:ケネディ大統領撃たれる」と書いてあった。人混みの中でうろたえた記憶がある。
 最近になってJFKは薬の副作用でセックス中毒となっていたのだと暴露されたりしているけれど、今度の駐日大使の就任でケネディ神話というものが今でもアメリカでも日本でも衰えていないのに驚くが、それもこれもあの暗殺の真相が明らかになっていないというポイントがあるからだろう。となると、関連文書が公開されるとこのあたりが明確になって偶像もガタガタと音を立てて崩れ落ち、わが青春もすっかり色あせることになるのかも知れないが、幸いなことにその時まで生きているとはとても思えない。