ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

小旅行帰路

 下田に出る。雨の中寝姿山へロープウェーで上がる。とにかく、知らない町に行ったらまず最初にできるだけ高い所に上がる。古来、なんとかとなんとかは高い所へ上がりたがる、という。天気良く、お日さまがでていたらさぞかし風光明媚な景色であろうが、日頃の心がけ、つまり人をくさすことばかりに奔走するのだから、こうした機会は多くの場合雨である。古くは瑞巌寺に参った時も風と雨であった。しかし、あの時は瑞巌寺の境内の苔が雨でしっとりとして、それはそれは優美な緑を見せてくれたのであり、喜多方の蔵屋敷を巡った時も終日雨の中でついに家巡りに集中し、ラーメンなるものを喰いそびれた。山から降りてちょろっと町中に入ると、お〜こりゃ素晴らしい山門を持つ寺に遭遇。
 昼飯は下賀茂の「おか田」である。ここでも金目の煮付けに遭遇。若旦那のあつく、そして面白い話に相づちを打ちながら、こんなに食べられないよと云いつつ完食。近辺の民宿と合体企画を推進中だという。ベスト・クラブという運動なんだという説明だったけれど、サイトで見ると近辺のやる気のある民宿をB&Bとして利用し、夕食はこの「おか田」で提供するという考え。ちょっとググって見るとジャパン・トラベル・フォーラムという組織に参加しておられる様子。こちらでみると、なんと「東販(現トーハン)に11年間勤務した後、南伊豆下賀茂温泉ホテル「伊古奈」に20年間勤務」としてある。なぁるほどぉ。こりゃあついわけである。こうした方が頑張っている姿は本当に晴れ晴れとする。顔から声からそっくりなお父さんがお元気なのを発見した。私は下賀茂に来たのは38年ぶりである。当時どこに泊まったのか、全く想い出せないほど町も変わっている。しかし、熱帯植物園に行った記憶はある。学生時代のサークルの合宿だった。当時は部員がまだ20人に足りないほどであり、金のなかったあの頃になんで下賀茂までやってきたのかは全く不明。今度先輩にお会いしたらお伺いしてみよう。わが家ではちょっと出かけてもほとんど何かを買い戻るということがない。土産というものに対して執着心がないというのだろうか。今回も美味しそうな干物を売っている店に立ち寄ったけれど、何一つ買わなかった。ところがこの下賀茂の「おか田」の店頭で売っていた「牛蒡せんべい」はそこにあった小さな一枚を口にしてこれまでにない新鮮な、牛蒡の薫り高いせんべいにびっくりして購入。あんまり安くはなかったような記憶だけれども、あまりのショックに即座に購入。これ、通販でも売っている。パッケージに書かれた字は下手っくそだけれど、味は大変に美味しい。
 次に松崎に到着するも雨はやまず。松崎と来ればなまこ壁だというので(いや、実を云うと到着するまでそんな話なんだとは露知らず、到着間際にそれを知って、ならば面白いだろうと)、伊那下神社から浄泉寺の山門を写真に撮ってから「なまこ壁」通りだったかの案内に従って横丁を曲がる。何軒か見るうちにステンドグラスがあったりする建物に遭遇し、中を覗くと、そこは「松崎町観光協会」だった。お兄さんがひとり中で新聞を拡げているのは見えたけれど、別段、その時点では何も思い入れがないから入口を写真に撮っただけで離れてぶらぶらする。那賀川の橋桁がなかなか風情があったので、見やっていると後ろから来たバスでご一緒のグループが何やら大きな声で話す人と一緒に追いついてくる。あの観光協会にいたお兄さんだった。案内をして下さっている様子に気が付いてくっついて歩く。橋を渡るとその右に時計塔のある旧家がある。それが明治商家中瀬(なかぜ)邸であった。倉の扉の内側の漆喰細工を説明して貰った。通りの反対側にも旧家があり、こちらの家は見事なまでのなまこ壁である。お兄さんの説明によると、これだけなまこ壁にするのには大変な財力がないとできないのだという。1平米につき5万円からの工事費だというのだ。そんな説明をお伺いしながらやってきたのは伊豆文邸。町に寄付された旧家で現在壁の修復中。家の前には番号入り「一等水準点」の礎石まである。中を見せて貰いながら裏へ抜けると工事中のためなのか裏の通りに抜けられて、それが伊豆の長八美術館前で私たちは時間いっぱいに帰り着いたのであった。
 その後堂ヶ島に寄った。37年前にこの地に来ていたはずだとずっと信じていたが、あれはここではなくて、波勝崎であったことが判明。当時なぜか開高健の小説を持っていたような記憶がかすかにある。
 バスに乗りつかれ、寝ながら帰京。東京はやっぱり寒い。帰りのバスの中で添乗員のお嬢さんからお伺いした話でびっくりしたのは、このツアー会社の今年のベスト・セラーのひとつが会社訪問ものでその最先端はトヨタの工場見学だというのである。それこそ「信じられなぁ〜い」である。世の中は一体全体どんなことになりつるのであろうか。世も末だぜ、実際の話が。
 世も末といえば、温泉にいる時に見たテレビが都市銀の今年のボーナスが破格だという。なにいってんだか、都市銀と云えばその全てが公金を大量投入した企業じゃないのか。私たちはきゃつら(敢えていえばきやつら)のために、個人の収入のために税金という名によって集めた公金をつぎ込んだという全くの話、表彰状者の好人物で、そんな理不尽なことを当然の如くに実施した利益代表の政治屋を選んで当然と思っているという救いようのない大バカである。