ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「笑いの人間交差点 By木村万里シャッフル」

紀伊國屋書店主催 花林舎制作、於:紀伊國屋ホール 18:30開場 19:00開演だけれどもいつものようにもう10分以上前から永六輔が前に立って喋り始める。席の中頃で何やらごにょごにょ喋る人あり。振り返ると矢崎泰久がお気に入りのTBSの外山アナウンサーと話している。今日から三日間、4回のステージのまず一発目がこれ。

柳家紫文

 三味線のお姉さんがどこかで見たような、見たことのないような方で紫文と掛け合いで新内をつんてんと弾く。最初、「南町奉行!・・」といかないので、今日は一体なんなんだろうとじっと聴いていると、どう聞いていいのか分からないような新内を歌い出す。ま、たしかに木村万里がいうようにあれで終わっていたら粋だったろうなぁ。もっとたくさん聴きたい。

山本光洋

 秀逸じゃないですかぁ!好きだなぁ、こういう類のとっても器用で、ちょっとおしゃれ。昔からこのタイプの芸人はいたことはいたんだけれども、この軽妙洒脱な所、それでいて小難しい態度を取らないところなんて好きだなぁ〜!来年のライブも見にいきたいものだけれども、それまでにどこかに出てこないかしらん。

前田隣

 昭和11年生まれの70歳。元ナンセンストリオといえば「親亀の上に・・」と「赤上げて・・」で一世を風靡した忍者の格好をして出てくるトリオ。なんでもかねてからのガン患者なんだそうで、今回も一週間の予定で国立癌研に入院したんだけれども三週間、今朝退院してきたんだという。エノケンの話をたくさんして、30歳違う(勿論下で、上だったら百歳になっちゃう、というギャグを飛ばす)奥さん、平田紀子のピアノの伴奏(これがまた巧い)でエノケンを3-4局唄う。今から考えてみるとエノケンは確か歌劇団のコーラスボーイから始まったはずで、いつかラジオでどなたかがいっておられたけれど、リズム、音程はとてもしっかりした人だったそうだ。しかもこの前田隣の歌でますます思ったのだけれども、使っている既製の曲がとってもセンスの良い選曲なのだ。あの独特の歌い方はともかく、確かにもう一度見直しても良い歌の数々である。

なぎら健壱+ギター:松本

 今更なんでなぎらなんだ、という気がしないでもないね。だってもう大御所でしょ。しかし、今日はテレビの時と違って、唄う時に良くやる古い曲の掘り起こしを何曲もやる。明治43年だ、いや次は42年だと唄い、そういやぁ昔聴いたことがあるようなって人はあり得ないっすよ、という。しかし、実はそうでもなくて、一度流行った曲というのはその子どもくらいまでは伝わるものでそれを次の代が歌うとそれがまた繋がったりする。その証拠に私は生まれていない頃の曲を何曲も母親が唄っていて覚えている。その歌を私が唄ったものだからこどもも覚えていたりする。狭い路地を向こうから人が歩いてきて思わず目が合ってしまったら思わず目で合図したりする、というのは今はもうほとんどない。なにしろ集合住宅のエレベーターに乗り合わせたって一言も言わないってのが普通だから。その時にすれ違いざまに向こうが「山!」といったからついうっかり「川!」と反応したというんですがねぇ。そんなわきゃぁないね。そこがなぎらの世界。

栗コーダー・クァルテット

 栗原正己、川口義之、近藤研二、関島岳郎のカルテット。概ねリコーダー、ピアニカ、ハモニカ、ギター、ウクレレ、チューバ、打楽器なぞを駆使してとてもゆったりと、とても気持ちの良い世界を創り出す4人組である。秀逸。Cary Lewincampや岡崎倫典にも繋がるような、ちょっと違うかも知れないけれど、実はその根底で渡辺勝とも手を繋がる所のある雰囲気をつくりだす。ライブ盤、2枚組を購入。
 雨は降り止まない。ステージが始まる前に折角紀伊国屋に来たので数点新書を入手。

  • 「イギリス庭園散策」 赤川裕 岩波アクティブ新書 2004.06
  • 「とっておきの東京ことば」京須偕充 文春新書 2006.06 圓生百席の編集者として著名。今更なんだよとは思ったけれど著者に引かれたのと、どこかで面白いと読んだから。
  • 「在日の耐えられない軽さ」鄭大均 中公新書 2006.08 著者の名前には引かれていたのだけれど、それこそ、このタイトルの「軽さ」に思わず手を引っ込めていた。
  • アメリカよ、美しく年をとれ」猿谷要 岩波新書 2006.08 著者の著作には1970年代から80年代にかけて私の憧れだったアメリカの文化、歴史を随分教えて頂いたものである。しかしもういいかなぁと思って手にしなかった。