ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

思い出話ー図書館

 私が図書館を利用した最初は一体いつでどこなのかと思った。小学校には図書室という、普通の教室に書棚が入ったものがあったのだけれど、多分それを利用しだしたのは三つ目の小学校、つまり私が6年生の時のことだと思う。実は茫洋とした想い出なのだけれども、木造校舎の一階の暗い部屋だったような気がする。いったい何を借り出していたのか、何を見ていたのかほとんどはっきりしない。きちんと記憶が蘇るのは高校に入ってからなのではないかという気がする。当時、図書館といえば貸し出しカードなるものがほんの後ろに入っていて、それと同時に個人カードというものがあったと思う。その個人カードの欄をどれほどの期間で書きつぶし、年間に何枚までそのカードを作るかということに邁進していた記憶がある。あのカードは表裏に欄が印刷してあったので、全部でいくつ記入ができたのかは知らないが、二枚目に移るのにも結構借り出せたという記憶がある。そして、大学に入ってからはなんということか、ほとんど図書館を利用した記憶がない。つまりほとんど勉強していないということである。社会人になってからはさまざまな法的知識を得なくてはならなかったり、マーケッティングの一環としての資料を捜して社内の資料室を漁ったり、国会図書館まで足を運んだりした記憶がある。
 転勤で外地に赴任したときにはやっぱり資料さがしに州立の図書館に通ったこともあったが、豪州では国の機関が定期的に発表している各種データーがあって、それを見に良く通った。もう一度入り直した大学の図書館はこれは実に使い手があってほぼ午後から夜にかけては入り浸っていた。ここではまず学校に入ったらイヤでも図書館を使わなくては何も進まないという状況を創り出してあった。本当の意味でリファレンスが機能している図書館だった。さぞかし、図書館で働いておられる方々にとっても真剣勝負を迫られる良い図書館だったのではないかと思う。ただ、あの図書館のOPACだけは表示が時代遅れで見にくかった。多分他の大学の図書館に比べて早くから構築されていたOPACだったんだけれども、それが禍してなかなか改訂できなかったのではないかと邪推する。その後学校を変わったのだけれども、その後の学校の図書館はハナから学生はろくなことをしない、というスタンスの上に立ったシステムを構築していたので、なんとも使いにくい気持ちにさせられたことを覚えている。それくらい、その前の大学の図書館は使えるものだった。とにかく学ぼう、研究しようという気持ちを充分に満たしてくれる。できればあんな図書館の中に部屋を借りて暮らしたいと思うくらいなんである。
 天井クロスの張り替え作業は下地処理が完了。パテの乾燥を待ち、明日最後のクロス貼りを実施する。
 友人のところに何人か集まっているからと電話あり。つまみと酒を持っていく。仲間の悩みを聴く。ビートルズ・マニアの友人からビートルズ音楽のデジタル化についての現況を聴く。イヤ、よく知っていること!