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Under the table

 こんな記事を発見。

“「わいろは必要経費」アジアビジネス 九電工捜索” 朝日新聞2007年02月17日11時14分
 九電グループ九電工(本社・福岡市)が、福岡地検から家宅捜索を受けていた。容疑は不正競争防止法違反(外国公務員への不正利益供与)。フィリピンの政府関係者に、自動指紋照合システムの営業活動に絡み、わいろを渡した疑いが持たれている模様だ。成長するアジアビジネス。一方で、わいろ文化も根強く、制度や組織よりも「個人」の意向やコネが影響力を持っているという。

 こうした「袖の下(under the table)」は途上国のプロジェクトではほぼ当然の如く語られていたことを思い出す。今でも変わっていないんだろうとは思う。特にフィリピンの場合にはかつての賠償供与のプロジェクトのなかで多くのその種のものが出回っていた。私が聴いたのはマルコスの時代である。「マルコス・マネー」と呼ばれていた。現地の代理店を起用してその筋にちゃんと到達してちゃんと機能するべきルートを握っているのはいったいどこの代理店なのか、そしてその代理店をつかんでいるのはどの商社なのか。旧財閥系の大商社はこうした仕組みの中に自らの手を突っ込むのは良しとしない。そこでこのルートを得意としている商社の出番になる。それは当然なことだった。彼らのパンフレットを見せてもらうとそこに映っていたのは、そうした政府系資金で彼の国に売り込んだ様々なプロジェクト。救急車、消防車まであった。
 台湾でも、インドネシアでも政府系の仕事、あるいは政府間借款のプロジェクトでは常にそうしたルートをつかむことが重要なことであった。次に権力を握るのはどのルートなのか、そしてそのルートをつかんでいるエージェントはどこなのかをみんな競っていたことは誰でもが知っている。そうして世界的企業は仕事をしてきた。今度のイラクの復興プロジェクトもそんなパターンのほんのひとつであることは明白だ。
 日常のなかでも、この種の話には事欠かなかった。当時インドネシアの入国審査の段階で「ぐじゃぐじゃしたらこれを出せば一発だ」といっていたのはなんと当時は100円ライターであった。こいつは出しそうだとむこうが思ったらなんとでもなるので、その時はそっと出せといっていたのを聴いたことがある。本当だったり、そうでなかったりはするけれど。なにしろ、日本から年末に送ったカレンダーの包みがとうとう工事事務所に着かなくて、そのうち町のバザールで売られているのを発見したという。それも現地の警察がいってきたというのだが、その警察は挙げ句の果てに、「もう少し金を出せばもっと見つかると思う」といったんだとか。この辺の細かい金はそうした公務員のアルバイト的なものでもある。なぜかといえば昼間の、つまり表の仕事だけではとても暮らしていけなかった。だから、昼間は警官夜はタクシー運転手という類の人がそれだけいたのだそうだ。
 「バクシーシ!」と叫ぶこどもに与えることは止めて下さい、といわれてもつい出してしまうのが日本人だ、とよく云われていたけれど、実は日本人だけじゃない。そこが「必要経費だ!」という理由になっているのだろう。本当の解決策というのはいったいあるのだろうか、あるのだとしたらそれはなんだろうか。