ほぼ足りてまだ欲 その先

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「コロラド日系人の100年展 ロッキー山脈のもとで」

 横浜の「みなとみらい線馬車道駅」を4番階段で地上に出ると本町4丁目の交差点に出る。そこからどんどん海の方に行った先にJICA(独立行政法人国際協力機構)の海外移住資料館というものがある。ちょうど5年前に開館した施設で真新しい建物である。私がこの界隈でアルバイトをしていたころには万国橋から先には荷役の仕事をやっている人以外には用がないところで、その先は海だったはずだ。だから途中までは懐かしいが、そこから先はまったく見たことがない風景だという複雑な状況の経路を辿った。
 約2週間前に図書館から借り出した「コロラド日本人物語 日系アメリカ人と戦争 60年後の真実」という本を検索した時に偶然ヒットしたのが、ここで10月16日から12月16日までの2ヶ月間にわたり展示されている「コロラド日系人の100年展:ロッキー山脈のもとで」という特別展示だった。それでこちらのサイトを知った。すると、今日の15時から「コロラド日系人100年のあゆみ」の上映会(解説:今田英一:アメリカ邦字新聞『ロッキー時報』発行人)、そして「反骨の日系ジャーナリスト ジミー・大村」という講演(講師:森田幸夫:金沢大学非常勤講師)があることがわかったので参加した。幸いに風邪もここに出かける位は大丈夫なまでに回復していた。「コロラド日系人100年のあゆみ」は日米戦が勃発した時にコロラド州知事であったRalph Laurence Carrのフェアな判断と在コロラド日系人のことを取り上げたTBSの報道特集を核に創られたビデオであった。どうしてもカリフォルニアを中心に在米日系人を見てきてしまった自分がたまたま見つけた書籍をきっかけにこうした機会を得たことは面白い。

 後半の講演については「ジミー・オオムラ」なる人物について全く知識がないので、あまり期待せずにいったのだったが、今田英一が森田幸夫を紹介したのを聞いて、ビックリした。日系人のなかでも米国に忠誠を誓った二世ばかりではないと、たまたまダニエル・イノウエの話を聞いた帰りに丸善で発見した「アメリカ日系二世の徴兵忌避」の著者、その人だったのである。→こちら
 もう一度この特別展示に絡んだイベントとしては11月10日(土)に飯沼 信子(エッセイスト・ノンフィクション作家)による「松平忠厚の妻 カリー」という講演があり、この時にも「コロラド日系人100年のあゆみ」が上映される。松平忠厚はコロラド州に初めて足跡をしるした日本人*1だといわれていて、彼はペリー来航当時の老中次席、松平忠優の息子で、1872年に21歳で渡米して東部のラトガス大学に学んだのだそうだ。
 James Omuraはワシントン州Bainbridge Island生まれの日系二世。1934.10にロス・エンジェリスの「シンニチベイ」を皮切りに日系新聞の英文版の編集に携わる。湾岸日系人が強制立ち退きに成る1942.03.29の3週間前が自由立ち退き期間であった時にデンバーに移住。この期間に全部で4889人が自由立ち退きをしているのだそうだ。
 ワカマツ・コロニーのおけいの墓の保存運動の『Fund』という表現をきっかけにJACLのトマス・イエゴらと対立。1944.01.24-04.18のロッキー新報の英文編集長の時期に再開された選抜徴兵制度に反対を表明。internment campでの徴兵忌避に関しても急いで軽率な判断をするなと主張し、逮捕され、起訴されたけれど、出版の自由を楯にしてとうとう無罪を勝ち取る。彼はジャーナリストは真実を伝えるだけでなく、社会の木鐸たらんとするべきであるといっていたといわれている。
 今田英一が冒頭にいわく、北米への初期の移民の出身地といえば広島、和歌山、熊本、岡山といったところが知られているが、意外なところで福島出身者が結構多いのだけれども、それは明治21年1888年)7月15日の磐梯山の大規模噴火が大きな影響を与えているといえるのではないかという。「泥流となって時速77kmで北方に流下、檜原村など山ろくの集落を含む約70平方kmを瞬く間に覆い尽くし、死者461人、負傷者1000人を超す」(読売DB)というくらいだから、相当に農地は被害を受け、地域の農業はその後にわたって影響を受けたはずだ。
参考サイト:

*1:p.22「コロラド日本人物語 日系アメリカ人と戦争 60年後の真実」今田英一 パレード 2005