ほぼ足りてまだ欲 その先

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ノー・ノー・ボーイ

 帝国海軍が真珠湾を急襲して日米開戦した後、米国西海岸に暮らしていた日本人、あるいは日系米国人11万人は11カ所のキャンプに強制的に収容された。結果的には米国政府はこれが憲法違反の処置だったと認めて賠償金を支払った。しかし、営々と不利な状況の中で彼等が築いてきた財産、地縁なんてものはそこで殆どご破算でゼロに戻ったも同様だった。
 この事実は日本、アメリカの両国でどれほど知られているのだろうか。細く長くこの事実は両国で語られていて、研究論文にも著されている。しかし、一般的にはどうなんだろう。
 そのキャンプ生活が続いているさなかに米国にとってはこの処置は膨大な経費を余儀なくされることになる。なにしろ不毛のとんでもないところとはいえ、そしてすきま風が容赦なく吹き込む長屋状のアコモデーションとはいえ、そのキャンプを運営して行かなくてはならない。できれば戦争に大きな影響のない地域に行きたい人たちは行かせ、日系二世の中から声も上がっているように、その気のある若者たちを徴兵してしまって直接ぶつからない欧州戦線に送り出すということもできるし、対日戦線での通訳、情報活動に役立てることも考えられるということで、いわゆる「忠誠登録」というやつをやった。

 1943年2月、政府は日系人の忠誠心を調べる質問状を送り始めた。質問の中で問題になったのが、「Q27:米軍の命令であれば、戦地の場所に関わらず兵役につく意思がありますか」「Q28:米国に無条件の忠誠を誓い、(中略)日本国天皇およびいかなる外国政府や勢力に対する忠誠や服従を否定することを誓いますか」
Lighthouseロサンジェルス版

27. Are you willing to serve in the Armed Forces of the United States on combat duty, wherever ordered?
28. Will you swear unqualified allegiance to the United States of America and faithfully defend the United States from any or all attack by foreign or domestic forces, and forswear any form of allegiance or obedience to the Japanese emperor, or any foreign government, power, or organization?
こちら

 これが強制収容されていた日本人・日系米国人に大きな動揺をもたらす。両方の質問に対して「NO」と答えた人たちを「No No Boy」と呼んだ。
 こうして、収容されていた人たちの中に、終戦後も大きな影を落としてきたと多くの著書は指摘してきた。
 しかし、問題はこうした一連の出来事があれから70年近く経ってもうほとんど両方の国で忘れ去られてきているのではないのか、ということだと思う。歴史を紐解くということは何故そのようなことが起きてきたのか、そしてそれがその後どの様に影響してきたのかを検証することであり、その結果私たち、あるいはそれに続く世代がそうした事実を如何に将来に生かしていくか、つまり起こらない方が良かっただろうことが起こらないようにするためには何を意識して行かなくてはならないかということを学ぶということだろう。
 それが自分たちは間違っていなかったのだというがために使われるのだとしたらそれは歴史から何も学ばない姿勢だといって良い。
 こちらに「DENSHO」というサイトがある。興味深い。

American Inquisition: The Hunt for Japanese American Disloyalty in World War II (H. Eugene and Lillian Youngs Lehman)

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境界線上の市民権―日米戦争と日系アメリカ人

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ノー・ノー・ボーイ

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