ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今あるのはこれまでの結果・・・

 なんだか思いつきで暮らしている昨今の自分に気がついて、ここまでの人生を考えてみると、ずーっとそんな暮らし方をしてきているんだなぁと感じ入ってしまった。何もこんなことに感じ入るなんて、行動、あ、いや感情というのだろうか、をするなんてほど大げさなことではないけれど、どれもこれも、あれもみんな単なる「思いつき」という奴でしかない。
 切り換える、あるいはそれを決めることを決断というのだとしたら、論理的に合理性を求めて決断するなんてことは一度もなかったのではないかという思いを持つ。いや、むしろ合理性、正当性なんてものを熟慮し、比較検討するなんてことが潔くない、ずる賢い、小賢しいような気がして、敢えて、思いつきで突っ走ったり、うろうろしてきたような気がする。だから、きっと周りの人は呆れかえった人たちが大半だったんだろうと思う。常識というものをあいつは持っていないといっていたんじゃないかと確信する。
 商売関連の人にものを送る、なんて行為は手をすりすり、すり寄っていっているようでまったく気持ちが悪い(バカだねぇ、お前は、と言っている声が聞こえてきそうだ)。会社の上司に季節の挨拶代わりにものを送るという習慣がわが国にはあるけれど、それすら実は「私を贔屓してくださいまし」といっているような小賢しさが見え透けていると思っていたから一度もそんなことをしたことがない。多分周りは世の中の物事を知らない愚かな輩だ、と思っていたんだろう。連れあいにいわせると、そんなんじゃ地位が上がって、その結果として収入が上がるわけがない、ということになる。ということで、巧く立ち回って社内での地位が上がると儲かるということなんだな?と今頃になって思い知る。
 十数年も給料が名目よりもカットされて払われていたというのに、それは会社にお預けしていたんだと愚かにも思いこんでいた奴とはそりゃ大きく異なってきて当たり前なんだなぁ。「やることをやってきたんだから、それを放り出していたお前とは大きく違うんだ」といわれてみると、あぁ、ちゃぁ〜んとこれから先を見越して、だから今はこれをやるんだと決意しているように見える蟻さんというのはえらいなぁ、とつくづく思う。深慮遠謀なんである。この熟語には「謀」という文字が入っていてなんだか冷静沈着を絵に描いたように見えるところが、全く私の人生に欠けている状況だ。
 後悔しているわけでもないけれど、だからこれからどうしようと決意を固めたわけでもないけれど、なんだか考え込んでしまう。