ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

格安バスパック

 朝もまだ暗きうちからごそごそ起きだして、年末を格安パックで温泉三昧に過ごす計画を実行。当初申し込んだ時には「まだ4人しか申し込みがないんです」といわれていて、キャンセルになったら残念だなぁと気を揉んだ。こんなに安いバスパックには今時はそれほど人気がないのかと思ったが、結果的に見るとようやく25人の参加者で無事成立。往路のバスの中には、当然こんな日に都心を抜け出そうとするのだから道はさぞかし混んで、何時に着くのか分からないのではないかというくらいに踏んでいたから食べ物と飲み物とを持っていった割にはすいすいと到着。目的地は湯田中温泉である。乗ってみて分かったのは渋温泉に泊まるというパックの客が16人、湯田中温泉に泊まる客が25人であった。
 志賀高原にはかつて何度もスキーにいったことはあるものの、その入り口、麓にある湯田中温泉やら渋温泉という名前は十分に知ってはいたが、逗留したことはおろか降り立ったこともない。事前に知らされていた宿泊施設の名前を検索してみると源泉掛け流しとしてあって駅から直ぐ傍のようだ。ならば長野電鉄を使ってかつて良く立ち寄った小布施に行ってみようとも思っていた。こうした格安バスパックに良くあるように昭和40年代、いや、ひょっとしたら昭和30年代に建てられたのではないかと覚しきRC造りの年代物宿舎だった。

須坂へ

 ロビーで説明を聞いていると「電車の時間が迫っている」と仰っている方がおられる。私はとにかくまず風呂だ!と思っていたのだけれど、その話を聞いて、「そうか!まだ午後になったばかりだからこのまま電車でどこかを見にいくのも良いなぁ」と思ったのが、大正解だった。その方のお話をお伺いすると、長野電鉄には往年の小田急を走っていたあのロマンスカーが特急として走っているというのである。荷をほどいて身軽になって(元々デイパック1個しか持ってきていないが)駅へと下る。
 駅前では林檎、林檎ジュースなんて拡げて売っている人がいる。帰りに買って風呂上がりに呑むのも良いなぁ。旧駅舎は展示室のような塩梅になっていて、その奥には「楓の湯」という立ち寄り湯になっている。駅にはなるほど、たった4輛にはなっているもののロマンスカーが停まっている。良し!やっぱり乗ろう!と思い立って須坂まで切符を買い、フォームに入ってみるとこれを教えてくださった方がおられて、ご一緒させて頂く。遠くに見える山々が信州に来たなぁと実感させる。一番後ろの展望席に座ってカメラを構え続ける。林檎や葡萄の畑が続く中、長野電鉄の単線の二本のレールがスルスルと後ろに続くのがとても気持ちよい。小布施まで来ると横には古い機関車、電車が三輛公開されている。
 湯田中から須坂までは片道乗車賃は760円もする。その上この特急は100円の特急料金が必要なので、つまり往復すると1720円かかる。地方に出かけるとバスも電車も都会では分からないほど高い。それでいて便数が極端に少ないわけである。こうして考えると地方と都会との格差はどんどん広がっていると考えられる。
 なぜ須坂なのかと思ったら須坂には「蔵の街」といわれていてそうした建物をいくつも見ることが出来るのだそうだ。駅から4人で歩き出す。駅前はなんと云うこともないのだけれど、横町中央の交差点までやってくると雰囲気が盛り上がってくる。なにしろ交差点の角に建っている交番からして洒落ている。地方が頑張って何かをしようとしているのが分かる。

ぼたもち石

 残念ながら昨日までは開いていたらしいが今日はもうお休みになっている「須坂クラッシック美術館(こちら)」がある。建物は「元・牧新七(まきしんしち)家」だそうだ。やはり地元の豪商の家らしく、実に広大な敷地である。建物も手が入っているらしい様子が窺えるが、いかんせん中を見られないのが残念。この界隈のいわゆるかつてのお屋敷や施設に見られる石積が私が初めて見る「ぼたもち石」なるもので実に面白い。なかなか難しい積み方で、説明書きに書いてあるようにこれはハカの行かない仕事だろうことは容易に想像がつく。誰がつけたのか知らないが、言い得て妙なネーミングが面白い。
 ここから私はあっちもこっちも写真をとりたい家ばかりでこっちでじっくり、あっちでじっくりなものだから、この午後の間に須坂と小布施を走破しようとしておられるお二人にはどんどん置いて行かれるが、それぞれ自分の興味ペースで行くのが一番で、お先に行って頂くのが気が楽だ。あちらも旅慣れて居られる雰囲気がよく分かる。

「燻炭器」

 荒物屋さんの店があり、もしちょっとした雪用の靴があったらと思っていた私は覗き込む。ここの店先に見慣れないものが置いてある。この大きな漏斗を逆さにしたようなものは一体全体なんだろうと見ると「燻炭器」と書いてある。炭を燻すわけはないだろうから燻して炭にするということかもしれないが、と帰ってから検索してみると、こちらの方がこれを使って何をどうするのかをわかりやすい写真入りでご紹介されている。「有機肥料や土に混ぜると、水はけや通気性の良いよい土が出来上がります。土の清浄効果、保温、保湿、保水 効果があるので、野菜の栽培用としてよく利用されます。アルカリ性で、土壌改良と酸度調整を合わせて行えます」とこちらでご紹介されている。どこで見てもかなりの白煙が出るので住宅近くではやらない方がよいと注意書きされているが、電車から山裾まで拡がる枯れた田圃のあちこちで上がる煙はこの煙だろうか。そういえばかつて籾殻を田圃で焼いていたのを見た記憶があるが、あれもそうだったのだろうか。

中華饅頭本舗 盛進堂

 駅で特急を降りて改札に切符を出す時に駅員さんに「何かこの辺のガイドマップはないですか?」とお伺いすると、得たりや応と出して頂いたのは厚手で使い勝手の良いガイドマップだった。ところがなんとも不思議なことにこのガイドマップの表紙にはワラビーとは違うけれど、レッド・カンガルーほど大きくは見えないカンガルーが表紙に2頭映っている。こりゃいったいなんだ。中を見るとどうやら臥竜公園の隣にやっぱりレッド・カンガルーがいる動物園があるんだそうだ。しかし、どうしてこのカンガルーはここまでやってきたんだろうか。きっと須坂市がどこかオーストラリアの街と姉妹都市なのかといえばどうやらそうでもなさそうだ。どこからやってきたんだろう。
 そのガイドマップに従って、中町の信号を右に曲がる。上中町の信号を渡ったところで右側にお菓子屋さんがあるのを右目で認識。ところが眼に入ってきた文字はなんと「栗中華」である。「えっ!栗はこの界隈だから良いとしても、なんだよ、その中華って?」というので、すぐに扉を開ける。お客さんは誰もいない。品の良さそうな女性がおられたので、さっそく「この栗中華っていったいなんですか?」と不躾(ぶしつけ)にお伺いする。それがこの写真で、どら焼きの皮の中に塩味のあんこにくるまれた栗が入っているというお菓子である。お店の名前は盛進堂(こちら)。どうやらこうしたどら焼きの皮でこしあんこをくるんだものを「中華」と云ったようだけれど、そもそもなんでそれが「中華」なんだろうかと不思議の限りだ。黙っていたら私は栗が入った中華饅頭と、あ、いや、ほら中華街で売っている、あのいわゆる肉まんを思ってしまう。こっちではそうではないのだろうか。
 なにしろわれわれはどんなものも一個ずつしか買わないというお店泣かせなんだけれども、ここでは店固有の名前が付いている「臥竜の里」という最中とクルミゆべしを戴いて辞した。実はこの栗中華は勿論興味津々そのものの美味しさだったのだけれども、このクルミゆべしが実に上品な美味さで、思わず唸った。最中はどっしりとしたもので、ひとりで食べたらおやつにしては大きすぎるくらいである。

遠藤酒造場

 「やっていないかもしれないけれど、この先に行くと「田中本家博物館」というのがあるんですよ」というお話を盛進堂さんのお話でその先を急ぐ。次の信号のちょっと手前の左側に造り酒屋が見えた。こうして信州を歩いていると造り酒屋が見えたら確実に足を踏み入れている。酒が強いわけではないのに造り酒屋というのはどっしりした大きな建物を持っているから興味がある。遠藤酒造場(こちら)という看板が掛かっている。入って見ると通りにはそれほど人が通っていないのに、ここの店の中は何人ものお客さんで賑わっている。これだけあそこもここも開いていないのにここにこんなにお客さんがいると云うことは皆さん狙い澄ましてやってきているということだろう。お店の方々もとてもきびきびしていてとても気分がよい。どうやら「渓流」というのがここのブランドのようだ。家族できている人が何本もの一升瓶を選び出している。こっちはトコトコ歩きの行きずり人だからそんなものを抱えるわけにはいかない。試飲はずらずらっと並んでいる棚から自分でとりだして試し酒猪口に戴いて舐める。中でもこの新酒どぶろく「どむろく」なるものがおいでおいでをする。そうかといて抱えていけないものなぁ。奥を見てやると300ml瓶がひっそりと三本だけ並んでいた。これだこれだと早速入手。サイトを見ると「※どぶろく 「渓流 どむろく」は取扱いに自信のない方はお買い求めにならないようお願いいたします」と赤字で書かれている。えっ!大丈夫か、うちは!瓶に入っていても発酵を続けているんだから冷暗所で立てて振動を加えるなと書いてある。は、はぁ〜。気をつけよう。

やっぱりお休み

 遠藤酒造場を出ると雨がシャラシャラと降ってくる。やおら傘をとりだして「406」号線をだらだらと登っていくと左手に富士通の大きな工場のようなものが拡がっている。そのまま行くとやはり左手に長い長い土塀の家が見えてくる。これが田中本家博物館(こちら)ならん。「穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を始め、代々須坂藩の御用達を勤めるとともに、名字帯刀を許される大地主」というわけでその土塀の長さを見ただけでも(それしか見られなかったのはなんとも情けないが)「約100m四方を20の土蔵が取り囲む」というほどのとんでもないほどの大きな屋敷だったことが窺える。ここに至るまでに多分2kmちょっとではないかと思う。やや、疲れてきた。田中本家の上にあるお寺さんでもやっぱり石積は例の「ぼたもち」である。バスにでも乗って駅まで戻ろうかとしばらく待ってみたが時刻表にある時間が遥かに過ぎてもお呼びでなさそうである。それならばどうせ下り坂だからと一本内側の通りを下り始めた。

劇場通り

 この通りが降り始めてみるととても鄙びていてなかなか面白い。草臥れていたからなのか、雨が降っていたからなのか、ほとんど写真がない。後から地図をよく見るとあそこまで行っていたんだったら臥竜公園まで行っても良かったのだけれど、その時は雨と疲れでほとんど関心がなかった。気がついたら多分かつてはどこかに映画館があったらしい「劇場通り」という通りを歩いていた。検索してみると何人もの方がこの通りに触れていてかつて養蚕で栄えた頃にはイベントがある時には人が溢れたものだと書いてある。とても思いが至らないが、年末大売り出しなのか、お店の前には「激情感謝祭」と書かれた赤い幟が立っているが、その過激なキャッチとは裏腹に静かなものである。かつて須坂には4軒の映画館があったという記録もあるらしいが、今ではもう一軒もないのだそうだ。そのうちの一軒、須坂劇場がこの通りにあって、大正3年には松井須磨子がカチューシャを唄ったと須坂のサイト(こちら)に記されている。昭和58年9月の日本建築学会学術講演での、当時京都工芸繊維大の研究生・伊藤友久と福井工業大助教授・藤森敬一の報告によると須坂劇場は大正3年11月に常設芝居小屋として建築されたとある。松井須磨子は「復活」をここで演じたそうだ。昭和25年には映画常設館となって「須坂映劇」という名前になっている。
 結局本町通りまで帰ってきてまた元の道をトコトコと戻る。「須坂クラッシック美術館」前までやってくると中から働き盛りという感じの女性がひょいと出てこられて、私達の姿を見ると「あらぁ、済みませんねぇ、どこもかしこも閉まっていてぇ、昨日までは開いていたんですがねぇ」と声をかけてくださる。この一言で疲れが飛ぶ。良いなぁ、この気持ちがとても嬉しい。都会の賑やかな商店にはこんな気持ちはもう見かけられないなぁ。綺麗に敷石がしかれた桜木町通りを通って駅に戻る。須坂の駅は長野電鉄の車輌基地になっているらしくフォームに上がると様々な車輌が目にとまる。2000系のオレンジ色の特急編成がフォームと平行して止まっている。奥の方には2000系のチョコレート色(本当はマルーン色(マロニエの実の色)というのだそうだ)の編成がステンレス編成に混ざって止まっている。そのうち2000系特急編成(リンゴ色)がスイッチバックして本線のフォームにやってきて湯田中行きの始発特急になる。盛進堂で買ったお菓子をやれやれとここに来てようやく手をつける。旨くて身体が休まる。長野方面からやってきた須坂止まりが反対側のフォームに到着し、お客さんがこっちに乗り移ってくる。帰省という雰囲気ぷんぷんの家族連れが何組もやってくる。
 湯田中に到着すると駅頭には各旅館からの迎えの旗を手にした宿の人がずらりと並んでいた。温泉場の駅らしい雰囲気だ。出かける時に駅前の露店で売っていた林檎ジュースを買おうと思ったけれどもう既に姿はない。
 さてさて、風呂だ。決して大きくはないけれど、43度は超えているだろうと思われる熱い湯が気持ちよい。なかなか手入れもままならないらしいサービス状況の中で本当にこのお湯は素晴らしい。夕食については触れるべき何ものもない。

県内交通

 ちょうどこの日の信濃毎日新聞には長野県南をカバーしている信南交通が直営のバス路線から撤退する方向で自治体と交渉していきたいと表明した旨が書かれていた。信南交通はこれまでも一部路線で自治体直営路線に切り換え、その自治体の下で受託運行をしているのだそうだけれど、全部の路線をその方向で検討して欲しいと云うことのようだ。つまり、民間企業ではもう間尺に合わないというのだ。それだけ利用率が下がっていると云うことだろう。どんどん不便になる、だから自分で車を動かすしかない、ますます不便になると云う悪循環の中にいる。かつて日本から外国に行った時に、日本の公共交通機関はなんて便利なんだろうと思ったけれど、今や日本の公共交通機関は当時の外国の不便さを遥かに凌駕したものとなってしまった。信南交通の社長は「もう一民間企業が事業として地域公共交通をやっていくのは無理」とあらためて説明。全12路線28系統の運行主体を自治体などに移管したい考えについて「行政にたくさんお金を出してと言っているわけではない。安いコストで運行できる業者があるなら、切り替えていってもいい」とコメントしているのだそうだ(web上では20071230付)。この日の新聞には松本電鉄を中核とした、あの斬新でモダンな車体塗装で一体長野に何が起きたのかと驚いた記憶がある「アルピコ・グループ」が債務超過に陥っていることが判明したことの余波が大きく報じられている。長電はどうなんだろうか。