ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

韻を踏む

 あれは高校生の頃の話だから東京オリンピックの前後なんだろうと思う。オリンピックの時は高校2年生で、オリンピックには何の興味もなかったのだけれど開会式の様子をテレビで見たことは覚えている。遊ぶことが楽しいということを実に分かってしまった時期だったといっても良いかも知れない。勉強をいい加減にしても世の中困らないんだと云うことを知ってしまったと云っても良いのかも。バンドというものが楽しいことを知った時期だったし、落語が面白いのだという思いに再び目覚め、今度はやってみたいと思いだした時期でもある。こうして考えてみると今に至る道は概ねこの辺りにその始まりがあったらしい。
 今から考えたら無駄だといわれてしまうのだろうけれど、その頃仲間内ではをつるんではたわいのない時間費やすことが嬉しかった。そんな時期に「驚き桃の木山椒の木」という言葉は一体全体誰が作ったのか知らないが、随分昔から使われた言い回しなんだろうとそのまま度あるごとに口にしていた。ある日、これはもっと続きがあっても良いんじゃないかと思って終わりに「き」の音で終わる言葉をくっつければ良いんだからと適当に思いついた言葉をくっつけた。それで「驚き桃の木山椒の木、ブリキにたぬきに蓄音機」と続けて云っていた、と私は思っていた。ところがそれから何年もあとのこと。テレビに出てきた大橋巨泉がまさにこのままを云っていたのである。「ブリキにたぬきに蓄音機」がくっついていたのだ。私は唖然として声が出なかった。一体全体どうして彼がこのまさにそのままの追加をくっつけているのだろうかと。ひとつくらいの言葉が重なっているというのであれば、計算上の確率はそんなに高くはないとはいえ、偶然なんてその辺にはゴロゴロ存在しているのだからあって不思議はない。しかし、三つの言葉が順序もそのままというのはあまりにも偶然すぎる。
 いくつかの原因が考えられる。大橋巨泉が私のオリジナルをどこかから入手してパクった。私が考え出したと思っているのが単なる誤解でラジオかテレビで彼が使った言葉を私が無意識のうちに自分が作ったと思いこんでいる。あるいは友人がどこかで聴いてきてそれをあたかも自分のオリジナルの様に私に吹き込み、それを私が姑息にも自分のオリジナルの様に思いこんできた。いやいや、もっともっと考えられる。人間は記憶の中で適当に作り替えている可能性があってもおかしくないからねぇ。
(追記:「驚き桃の木山椒の木」をGoogleで検索してみると、「ブリキに狸に洗濯機」を多くの方が採用されている様である。となると、私が使っていた「ブリキにたぬきに蓄音機」はオリジナルくさいが、それでもあたまのふたつ「ブリキにたぬき」が合致していることは偶然では片づけられないくらいの符合が見られるといっても良いだろう。)