ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

自転車と大規模修繕

 うちも例外ではないのだけれど、ここのところ集合住宅の建設がわが家の近辺では珍しくない。かつては戦後の仕舞た屋がきちきちと並んでいる地域だったのだけれども、あのバブルの頃はそれほど大きな建物にまとまることはあまりなかった。しかし、ここ最近のデノミの所為か小規模な自営業ともいえる様な商売があれもこれも立ちゆかなくなって個人商店といわれる物がどんどん駆逐されてしまってそれをまとめ上げて集合住宅が建つ。あっちの布団屋さんもオモチャ屋さんも眼鏡屋さんもお菓子屋さんも八百屋さんもみんな次世代が店を継ぐ状況ではなくなって現役世代が引退すると同時に閉店となっていく。その代わりはスーパーマーケットに人が集まることになり、その周りは自転車だらけだ。専門におじさんが雇われていてその辺に無秩序に置いていく馬鹿客の自転車を振り回している。その自転車は自宅にまた乗って帰るのだけれども、その帰り先の集合住宅には十分な数の自転車置き場が設置されていない。その結果、どんなことが起きるのかというと、その建物前の歩道にずらずらと並べられるということになる。その分もちろん歩道の使える範囲が狭くなる。それでもその歩道は自転車利用可とされている歩道だからそこに自転車が突っ込んでくる。歩行者はそれを避けて自転車をやり過ごすことになる。
 「予想以上に自転車の保有台数が増えている」ことが理由だと多分公安委員会は答えるだろう。しかし、この界隈は平ったい地域で子どもを連れた女性たちにとってはまさに自転車が最も便利な交通機関になるのだ。どこに原因があるのかといえば、私はこうした集合住宅を設計する側の想像性と創造性のなさだと思う。つまり、今から計画を立てようとする地域の地域特性を全く考えずに設計をして販売をしているということだ。いや、それを分かった上で販売効率を考えてあえて地域特性を無視しているからだと言い替えた方がよいか。
 自転車置き場を戸数の2-3倍台数準備したら実際に販売の上で比較要素となる区分所有面積に影響が出てしまう。極端なことをいってしまえば、彼らが得ようとする利益を確保するために地域住民にかける迷惑を敢えて無視する、ということでもある。多分、あっちの業者もこっちの業者も別にその地域に自分が住むわけではないのだから「知ったこっちゃない」ということか。ちょっと前なら「そんなの関係ねぇ」のか(あの芸人はアホだねぇ。それをのせてテレビに登場させるテレビ側が大馬鹿なんだけれど)。
 こうした集合住宅の売り方として未だに問題にならずにまかり通っているのがとんでもなく低い金額に抑えて販売してしまう「修繕積立金」である。その辺の売り出されている集合住宅のちらしを一瞥すると経験のある人ならばすぐに分かる。そんな程度の金額の「修繕積立金」では十年後の大規模修繕はとても賄いきれないのだ。それをわかっている管理組合は入居後すぐに長期修繕計画の見直しをはじめる。そしてすぐに「修繕積立金」の値上げを決める。そのままでは十年後の第一回大規模修繕を実施する時に一時金を徴収しないとやっていけない。しかし、年金暮らしの世帯の場合にはそんな金額を一時支払いすることができなくなる。
 「極端に少ない自転車置き場」の問題と「それではやっていけない修繕積立金」の問題は建築確認の際の審査点になっているのだろうか。修繕積立金については国土交通省、もしくは地方自治体の建築何タラ課の管理下にはないのだろう。これは業界による公然たるだまし討ちではないか。設計要素を意図的に捜査してがらくたをウッ飛ばした人間は逮捕されて有罪になったけれど、そこに入居した人間たちはもうそれでとてつもない苦労を背負い込んだ。しかし、こっちの問題は知らん顔をしてしまえばそれで終わってしまうことでもあり得る。