ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

学校

 これから必ず来るであろう多文化社会を英国を知ることによって比較検討していこうという授業に先週から出席。意外な事実を次から次に知ることになり、これまでの人生では本当に限られた情報しか入手していなかったのだとまた思い知る。先生が訳200点にわたる参考文献リストを下さる。自分が知っていたものはそのうちの多分五分の一程度であった。図書館でそのうちのなん点かを検索。ついでに自分がこれまでにリストアップしていた文献を捜す。
 先日都立中央図書館の記事検索で見付けたオーストラリアのウーロンゴン大学の研究者、クリスティーン・デマトスが城西大学国際学術文化振興センターが発行している「U.S.-JAPAN WOMEN'S JOURNAL」33号で発表した「A Very Gendered Occupation: Australian Women as "Conquerors" and "Liberators"」である。まだ読んでいないけれど、英国連邦軍が駐留していた広島でオーストラリア人女性がどの様な活動をしていたのかについて書かれたものの様だ。とても面白い観点の調査研究でこうした切り口にぶつかった時にはワクワクしたに違いない。彼女が広島の呉で何度目かの調査のために滞在していたことが昨年の6月はじめの朝日新聞広島版に掲載されていた。
 もうひとつはなんと第三文明社発行の「うたかたの花嫁」。この出版社だからもちろん創価学会の編集で、1982年発行の「平和への願いをこめて」シリーズの第七巻。何人もの女性のアジア太平洋戦争によって大きく影響を受けた人生の記録なのだけれど、多分信者の方々なのだろう。巻末に当時上智大学の教授だった鶴見和子の「戦争体験を共有のものとして」と題するインタビュー記事がある。鶴見俊輔も「日米交換船」の中でも話していたが、鶴見和子もやはり米国から帰国する際に全ての論文等を没収されたのだそうだが、日本が戦争に負けて駐留軍がやってくると、なんと米国政府から横浜港に出頭せよと連絡が来て、その際に没収されたものを全て一点残らず返却されたのだそうだ。「これが逆に没収したのが日本だったらどうだっただろう」としているが、それは想像するのは容易である。
 鶴見和子はなくなるまでに大変な数の出版物を残しているが、この本の中で「母たちの戦争体験 - 引き裂かれて」という女性たちが生活記録を残すためにとして綴ったものをライフ・ヒストリアンといっても良い牧瀬菊枝とともに編纂したといわれるものについて語っている。この本は筑摩書房から1959年に刊行されたものであるけれど、それをその後麦秋社から1979年に再刊行している様だ。地元の図書館でも学校の図書館でも借り出せそうである。

 書き始めた動機は、「子どもに残す財産として」ということだったのですが、書き綴っていくうちに、私たち女性も被害者じゃなくて、加害者ではなかったかという問題が起きてきたのです。
 それは「無知の責任」ということです。(p.228)

と語っている。保阪正康がいう様に「後になればなるほど、そして著者が敗戦時に軍や政府の高い位置にあればあるほど」その中身には信憑性が薄れるだろうことはうすうす納得ができるのだけれど、この種のものには比較的信憑性が高いだろと思っても差し支えがないだろうと思う。
 このような鶴見和子のこんな話を再録した本を出していた創価学会の代弁政党である公明党が今や自民党と一緒に与党となって憲法九条が確固として存在するにもかかわらず、防衛省にし、イラク自衛隊を派遣していることを考えると人間は簡単に過去に目をつぶってしまうんだなぁという思いを強くする。