ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Yellowstone → Grand Teton → Jackson → SLC

 夜中に目が覚めてからなかなか寝付けず、うつらうつらしたりしながらiPodに入っていた落語を全部聞いてしまう。外が明るくなってきたからカーテンの隙間から外をうかがうと相変わらず雪は降っていて、昨日の朝はまだ雪が積もっていなかった人が通る小道も、今朝は全く真っ白である。状況は全く好転していないどころかますますよろしくない。今日は一気に南下して、南のゲートからYellowstoneを出て、J.D. Rockefeller, Jr.が寄付したといわれている地域を通り、Grand Teton National Parkに足を踏み入れる。
 Yellowstoneという名前のいわれは何かという話はガイド氏の説明によれば、Missouri riverと当時のYellowstone River(その時はまだ名前が明確ではなかったのだろう)の合流地点でこれはなんという名前かと聞かれて、あたりの石灰石が黄色い色をしていたから「Yellowstone」といったことから始まっていて、すなわち川の名前が先について後から公園の名前となったのだそうだ。Yellowstoneが最初のNational Parkになったのは1872年だという。それから100年後の1972年に米国のNational Park政策は大きく変わり、そのおかげで今の米国のNational Parkがあるのだという。

 さて、そこでこの「Grand Teton National Park」のいわれなんだけれど、ガイド氏は大変に云いにくそうにする。そもそもはフランス語を語源とするのだそうだ。どうやら女性の胸を意味するものの様だ。私たちが30年近く昔にアフリカの砂漠で仕事をしていた時に現場から100km程離れたところに忽然とふたつの岩山が出現したが男ばかりの現場ではこれを「おっぱい山」と称していた。多分、最初に入ったフランス人もそんなノリで、いまこの公園が売り物にしている山並みのどれかを取り上げてそういったに違いない。それは350年程昔の話だそうでフランス人の猟師がショショニ族のところに入り込んできた時の話の様だ。
 当初、山並みだけではなくて川沿いも含めてNational Park化しようとしたのだけれど、水利権を取り上げられてしまう可能性を危惧した地元は大反対をしたのだそうだ。結果的にmountainsのみを公園化した。
 すると1929年から1950年にかけて「Snake River」という不動産会社がThe Snake Riverに沿った私有地を買い集めた。この会社は蓋を開けてみるとRockefeller Jr.の会社であることが判明。Rockefeller Jr.はその土地全てを国に寄付して公園化したという。これがYellowstone National ParkとGrand Teton National Parkとの間にあるJohn D. Rockefeller Jr. Memorial Parkwayだそうだ。道路にも彼の名前が付いているんだそうだ。

 Grand Tetonの山並みの最高峰は標高4,197m。今でも氷河が残り、氷河が押し出した土砂で構築されたモーレン湖が五つもある。全部を縦走するのには16日間を要するという。
 私たちはJackson Lakeに沿って南下する。右手に山並みが続くが大変に残念なことにこの天候で山頂はどうしても見えない。それでもこれだけの雪を被った山並みを遥かに見やるのはとても気分がよい。この界隈で最も高価なアコモデーションといえばB & BのJenny Lake Lodgeというものだそうだ。サイトでチェックしてみたら「Nightly cabin rates: One room cabin (duplex style):$550、Each additional person is $150 nightly。Suites: $725 - $785 (one or two persons) Each additional person is $150 nightly」としてあるからこりゃ相当である。但し、二食付き、乗馬、自転車付きである。これはJackson Lake Lodgeからずっと南の方にある。Jackson Lake Lodgeは大層気品のあるロッジなのだけれど、気後れしながらも必ず入って階段を上がり、とてつもなく天井の高いロビーの向こうに見える大きな窓から湖越しに見える山並みを堪能するべきだ。そして左の奥の隠れている様な扉を開けて外に出て、思いっきり息を吸い込みながら草原と湖越しの山をご覧いただきたい。草原にはMule Deerが群れをなしているのが双眼鏡でよく見える。
 しばらくまた南に向かって車を走らせるとまたまた山並みがよく見えるところで小休止をする。おばさん姉妹の皆さんは屈託なく踏み込んで可憐な高山植物と一緒に写真をとりまくる。お元気そのものだ。ここでもかなり近い距離でMule Deerを見かける。

 この界隈で日本でよく知られているのはひとつは映画「シェーン」のエンディング・シーンがこの公園の中で撮影されたと云うこと。そしてもうひとつは小さなまるで山小屋の様な教会、The Chapel of the Transfigurationである。これはNational Park ServiceのGrand Teton National Parkの日本語版解説には(Episcopal Church)と書かれていて「英国聖公会」と訳されている。これはAnglicanのことをさすが、正確にいうと米国のみで「聖公会」を意味する。つまり、米国聖公会を意味する。生活儀礼としての仏教徒でほとんどが無宗教とカテゴライズされるべき日本人の間でこの教会を見に立ち寄るツアーが多くあるらしいのが面白いが、これは多分にもののついでであって、山だけを見ているのではひと言文句が出るのかも知れない。この周囲には簡単な宿舎が建ち並んでいて、何故こんなところで生活をしている人たちがいるのかと思ったらこのnational parkに従事する人たちの、いわば官舎の様なものの様である。この種のものはどこのnational parkにいっても必ずあり(当たり前だけれど)、それが平屋の茶系統の木造で出来るだけ目立たない様な造りになっている。
 おばさん姉妹の中にキリスト教の方がおられる様で跪く姿が見られた。人口のうちの1%しかいない日本のキリスト教徒の方に遭遇するのは相当に運がよい。
 教会にはマルコの福音書、9章の2節と3節が引用してあった。
「9-2:六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、9-3:服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬ程白くなった。(新共同訳)」このイエスの姿が「変わったこと」を英語では「transfigured」と記してある。
 どこのことか忘れてしまったけれど、このnational parkの中には人口ダムが存在するのだそうだ。national parkに指定されてしまったら自分たちの思い通りにならなくなると、地元が造ったダムだそうでこうなれば指定から外れるだろうという読みは見事に外れて指定されているのだそうだ。もうひとつ、このnational parkにはnational parkらしからぬものが存在する。それがお金持ちが一杯ロッジを持っているという南のはずれ、それでも立派にnational parkの中に存在するJackson Hole Airportである。この地域には大層高いといわれるJackson Hole Golf & Tennis Clubなんてものまであってやりたい放題である。なんだかその辺は日本の、なんのために指定をするのか全く理解不能の「国立公園」に結構近いものがあるといいたいくらいのいい加減さである。

 昼飯時をJacksonの街で過ごす。あれっ!Jackson Holeという街だったんじゃなかったのかと思ったけれど、それはこの界隈のJackson Hole Valleyと誤解していたのか。標高1901m位だから涼しい。スキーリゾートでもある。28年前のクリスマスにスキーにきたのはこの辺りだったのだろうか。全く記憶にないのだ。しかし、この辺では有数の街で、森と山と雪の中で過ごしてきたものだからなんだか人混みだなぁと思ったけれど、それは本当に街中の数ブロックのことですぐ裏に回ると人は見あたらない。街中の公園の入口には必ず写真がアップされる「鹿の角を積み上げて作ったゲート」があり、早速写真を撮る。見ていると誰でもが撮る。
 壮大な規模の帽子屋があって面白かった。昨年友人が米国からの輸入物だといって、Lite Feltの帽子を見せてくれてとても気に入ったのだけれど、あの類の帽子が一杯だ。考えてみればLite Feltものはクラッシャブルだから気楽に入手してくれば良かったのに、Jackson Lake Lodgeの売店でたったの20ドルで売っていた(焙じ茶の匂いのする)ストローハットを抱えていたので諦めた。
 ウロウロしているうちにあっという間に昼飯の時間が終わってしまう。慌ててBakeryに入ってデニッシュと珈琲をtake-outする。ここでも忙しさの渦中にいる店員の女性はニコリともしない。やっぱりtipがからまないとこの国ではお愛想は求めてはいけないんだろうか。ガイド兼ドライバーとの待ち合わせ場所は公園の前。ガイド氏がやって来るなり「秋葉原で殺人事件があったらしいけど知っている?」と聞く。知る訳がない。
 ここからはただただひたすら89号線を南下してI-S80号に入ってSalt Lake Cityを目指す。89号線はワイオミングとアイダホの州境に沿ってワイオミング側を走る。Jacksonから50km程南下したところにAftonという小さな田舎町がある。昔でいったらGeneral Storeとでも云う様な、ガソリン・ポンプがあって、コンビニの様で、それでいてハンバーガーくらいは食べられそうな店でトイレ休憩にした。なんでここなのかと思ったらガイド氏が云うにはこの店は2000年のシドニーオリンピックで金メダル、2004年のアテネオリンピックで銅メダル、2005年大晦日異種格闘技戦吉田秀彦に勝利したレスリングのヘビー級、Rulon Gardnerが経営する店だというのだ。彼は「Never Stop Pushing」という本まで出版している。ウェブサイトは→こちら。それにしてもこの近辺に暮らす人たちは日々の買い出しに一体どこまで行くというのだろうか。
 この界隈は綿々と続く牧草地帯。右を見ても左を見ても牧草ばかりだ。それでも所々に新しく造ったんだろうと思われるresortのようなranchが見られる。どうもガイド氏の話を聞くと牧畜だけではやっていけなくなったもともとの持ち主が手放す傾向にあって、土地を切り売りして生計を立てているのだそうだ。そうなると切り売りする土地がなくなってしまった時が終焉の時になる。将来性を論じることのできない地域になりつつあるというのである。
 出発点であり、帰着点であるSalt Lake Cityに近づくと姉妹のお一人が「先ほどお渡ししました」と例のガイドへのティップのことを報告される。また私は「ごにょごにょ」と口を濁す。まったく潔くない。懐かしのPark Cityをかすめて「This is the place」に戻ってくる。今日は日曜日だから元気さえあれば、しかもこんなに近くなんだからモルモンのconference centerに行けばまたクワイヤを聴けたかも知れないが、さすがに雪の中で過ごした3日間は疲れた。また、出発したホテルSalt Lake Plaza Hotel at the Temple Square(長い名前だなぁ)に戻ってくる。預けておいた鞄を取りだして部屋に入るや否や思わずベッドに突っ伏す。さて夕ご飯はどうしようかと思っていたがガイド氏がいっていた何軒ものお店の中からセレクションしていってみようと思う。28年前に3-4回行った「ミカド」がどうなったのか見てみたい気持ちもあったけれど、さすがにまだ日本食が恋しい訳でもないからと只のLite Railに乗ってまた南へ下がり、ベトナム料理といっている店に行こうと出かける。さすがに日曜日なこともあるけれど、人が通りにいない。
 なんだかモダンなレストランでかつてのこの街だったら想像も出来ない。ベトナムといえば「フォー」だ。しかし、ただのsoup noodleも芸がないなぁと思ったので「フォー・シー・フード・コンボ」という名前に惹かれて(コンボなら野菜があるだろうと)注文。
 そのうちにご一緒だったお若い家族のお父さんが一人で来てtake-outオーダーをしている。お嬢ちゃんが乗り物酔いをしたらしくて部屋で休んでおられると云うことだった。と、思ったら仲良し姉妹4人組もここに到達。相談した訳ではないのだけれど、とうとう全員ここにきてしまっていた。誰が考えるのも一緒だ。
 さて、料理が来て二人で顔を見合わせる。確かに野菜とシーフードの炒めたものがどっさりと山盛りになっているのだけれど、濃い茶色。明らかにオイスターソースを使った炒め物なんだけれど、どこに「フォー」があるというのか。食べ始めてみると美味しい。そしてようやくわかったのは茹でた「フォー」をまず敷いてその上からオイスターソースで炒めた具をたっぷりと乗っけたものだったのである。美味しいのだけれど、食べ終わった時にはもう満腹だった。一通りの少ない街並みをトコトコ歩いてホテルに戻る。
 それにしてもかつてこの街に2.5ヶ月滞在した時にとても由緒のあるホテルが建っていたのだけれど、あれは一体どこにいってしまったのだろうか。多分とっくに解体されてしまったのかも知れない。