ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Sequia→Yosemite

 この時期のアメリカは高校の卒業式のシーズンで、地方によってそれぞれの卒業式がテレビで報じられる。その中で特徴的な卒業生のことがそれぞれの局でほぼ毎朝報じられている。中でも高齢者の卒業生の話題は多い。85歳、90歳の高校卒業生の話はあっちにもこっちにもあるらしい。どこにでも転がっている話ではないことはテレビで取り上げるくらいだからそうだろうとは思うけれど、これだけ見せられると取り上げる程珍しいことではないのだという認識が出来る。やはり日本に比べたら学校というものがどういうものなのかという認識に根本的な違いがあるといっても良いのかも知れない。立教大学社会学部の佐久間孝正先生がいう様に、日本は「学歴至上主義」だから「どこを出たか」だけで判断される結果となり、その後はどうでも良くなってしまう。しかし、「学力」もしくは「資格」主義的に考えればいつそれを取得にいっても良い訳で、そうなると学校という場に携わる年齢層に年齢的にも民族的にもヴァリエーションが出てきてもおかしくない。現状は日本の大学という場に参画する年齢層の画一さを見れば明らかだというのがよく分かる。今日取り上げられていた地元のテレビの高校卒業生は里子として育てられた女性の話だった。
 テレビといえば中西部の洪水被害は未だに深刻の度を増している様で、この穀物地帯の被害は必ずや年末に穀物相場の急騰となって現れてくるだろう。イラク戦線で犠牲になった米国兵士一人につき一マイルを走り、米国大陸を横断してワシントンのアーリントン墓地まで走るというイベントが始まったとテレビが告げる。それだけイラクで死んでいると云うことだが、死んでしまったイラク人に関してはどうするというのだろうか。
 朝ご飯はどこかで休憩するたびにチョロチョロッと買っておいたデニッシュなんぞをとりだし、必ずロッジにはついているコーヒーメーカーで珈琲を湧かしてそれで済ましてしまう。今朝は、その合間に裏の窓から裏の崖を見ていると、mule deerの立派な角を持つ雄が悠然と草をはみながら右から左へ歩いていく。慌ててカメラを撮りだして息を殺して何枚か撮る。こういう時に上手く撮れるか撮れないかが腕の差なんだろう。他に誰か気が付いていただろうか。みんなに教えてあげたい様な、誰にも教えたくない様な、不思議な感覚だ。
 午前7時半。いよいよYosemiteに向かって移動する。今度はあのハーフドームを見た時にどんな気持ちになるのだろうかと楽しみだ。美しい針葉樹の中を進む車の中から外を眺めているとついうっかり寝入ってしまう。あぁ、勿体ない。Incense ceaderの香りは高く、大きな松ぼっくりのSugar Pineは荘厳で、Jeffrey Pineはえもいわれぬ香りを放つ。バスは一路また麓のFresnoを目指す。日曜日の朝とあってfruits standは見るからに家族総出で準備に余念がない。Fresnoを中心にしてといって良いのかどうか分からないが、モービルハウスが寄り集まって生活拠点となっているのであろうと思えるものがバスの車窓からいくつも見える。working dayは農場でピックアップを中心とした作業に従事するのは想像がつくけれど、週末の彼らは一体どうして暮らしているのだろうか。もし彼らが私が決めつけている様にメキシコ系の労働者だったとしたらカソリックの信者だろうか。
 バスは41号線へ入る。これを辿ればYosemiteだ。途中Oakhurstのスーパーマーケットでトイレ休憩を取る。なにやら「Sushi」と書いた看板がDeliのところにかかっていたのは知っていたが後でケンタッキーから来られたご夫妻がそこでスシロールを買っておいでだったのは気がつかなかった。私はMango Juice, Knorrのdip、デニッシュを買って7ドルをクレジット・カードで払う。サインは液晶画面上にタッチペンで書き、「OK」ボタンを押すんだということをここで知った。Yosemite Lodge at the Fallsに到着。キャフェテリアで昼食をすませて13:30から4時間をかけてGlacier Pointへのバス・ツアーに参加する。あんまり時間がなかったので、満席でわんわんしているキャフェテリアでサーモン・バーガー($8.00もした)と飲み物をテイク・アウトして外のベンチに座ってリスがちょろちょろするのを見ながら食べた。
 目の前を不安げに通り過ぎる東洋人の青年に思わず「お一人ですか?」と声をかける。やっぱり日本人だった。日本人なのか、中国人なのか、朝鮮半島から来られた方なのか、台湾から来られたのか、この辺は非常に微妙だ。かつてはそれでも良く判別がついた。しかし、近年ますます区別がつかなくなった。それでもどこといって指摘は出来ないのだけれど、どうもそうではないのかという見当がつくことはある。
 かつては〔といってももうだいぶん前のことだけれど〕、世界どこにいっても現れる日本人観光客に互してどこにいっても出会ったのはドイツ人だった。40年程昔はサンフランシスコのトゥイン・ピークスの駐車場でドイツから走ってきたバスというものにお目にかかったことがあるくらいだ。しかし、今回の旅行期間を通じて感じるのはそのパターンが大きく変わっていることだ。米国の観光地で感じるのは東洋人であれば中国人が増えているということ、そしてもうひとつはロシアやかつてのソ連邦から独立した国々からの観光客の増加だろう。そして彼らはフレンドリーではない。例えばエレベーターで一緒になったら普通は「Hi !」とか、そんなこと聞かなくても良いのに「Going up ?」なんて愛想を使ったりする。あの博打場のホテルのエレベーターですら「Morning !」なんて声をかける。しかし、彼らは反応しない。なんだよ、こんな奴、俺は知らないぞという顔をする。40年前の日本人ツーリストの様だ。
 Yosemiteには77種類のほ乳類、42種類の爬虫類、11種類の魚がいるんだという。気が遠くなる。そのうち私が見たのはほんの数種類だということになる。ここのフィッシング・ルールは厳しい。日本人のアングラーの中にはがんじがらめだといっている人もいるけれど、そうしなくては残らない。日本の渓流の魚たちはもうほとんど純粋天然物は残っていないのではないだろうか。catch & releaseが原則だといい、一匹の魚が一夏の間に釣られる回数は平均的に見ても7回だというのは驚いた。釣られた時の傷、あるいは扱い方で死んでしまう魚が多いのではないかと思うがデーターとしてはその犠牲は3%にとどまるというのにはこれまた驚いたが、こんなことなら全面的にfishingを禁止してしまうべきなんじゃないかと思った〔自分が釣らなくなったらこれかよ、という声が聞こえそうだ〕。こういう話はガイド氏のいうことをマメにメモをしておいた証なんだけれど、続けると年平均13頭の熊が車に激突して死ぬんだそうだ。逆に熊が車に対して犯した被害は年に100台といわれている。車の中にまでも食料を置くなというのはにわかには信じられない話なのだけれど、彼らは本当にその匂いを嗅ぐと、車の窓枠ごとひねることが出来てしまうのだそうだ。ところでYosemiteにはゴルフ場がある。確かGrand Tetonの南のはずれにも金持ち相手のゴルフ場があった。
 さて、Glacier Pointへのbus tourである。50人乗りバスがやってきて、ドライバーがマイクをつけていてガイドする。私たちはわれわれのガイド氏が一番後ろに陣取ってそれを日本語で解説してくれる。El Capitanに最初に登頂したのは1958年のことで、今では年間に2000人もの人が壁にとりつくのだそうだ。下から上がるのに普通は4日間かかり、これまでの最短記録は4時間だというのだけれど、それって一体どの様な装備でどの様な支援体制を得て実現したんだろうか。
 こんなことを書いているうちにこの最短記録というのはいつ頃誰が作ったのかを検索してみようと思い立った。ところが一発目にぶつかったのがNPRの2008/07/03付の記事で、「Hans Florine, 44, and his climbing partner, Yuji Hirayama, 39」がWarren Hardingが3000フィートの壁を47日間をかけて踏破して以来丁度50年の節目の今年に2時間43分で踏破したという。明らかにこの「Yuji Hirayama」は日本人で世界有数のクライマーの様である。(こちら)。彼のブログを見るとEl Capitanにとりついたのは5年振りらしく、今回は6月下旬に入っているそうで私とはすれ違い状態。23日からとりつき、27日は3時間28分で登り、7月1日は2時間47分30秒、7月3日には2時間43分33秒で踏破したと書かれている。かのガイド氏はこの記録をメモしているだろうか。あれ?でもHas Florine〔米国人、これまでに68回踏破〕のブログには7月2日となっているなぁ。
 さて、そのGlacier Point Tourである。Yosemite Valleyからさっききた道を戻るのである。だからあのトンネルを通るのである。結局あのトンネルを三階通ったわけだけれどもグラナイトの岩山をくりぬいたからなのか、トンネルの壁面はそのままの掘りっぱなしで、なんだか豪州東海岸の砂岩を掘って造った駐車場の地下壁面〔屈折しているなぁ〕のようである。Glacier Pointから見た景色はとてつもない感動で一杯の景色であるけれど、縁から下を見下ろすことが私にはとても辛い。膝から下がブルブルと震えてきそうだ。それでもどこまでも見渡すことが出来て何時間いてもこの景色は飽きない。いつまでもこのまま見ていたい。ハーフ・ドームのてっぺんに何人もの人影が見える。去り際にまた双眼鏡で覗いてみると先端からロープが垂れている様に見えるのだけれども、そんなものが見える訳がないか。
 バスがYosemite Valleyに帰ってくると、我らがガイド氏が日本語で「このバスの運転手さんはtipで生活しています、少しで良いですから気持ちをお願いします」といったのだけれど、本当かい?!じゃ、僕らのtour fareはどこにいってしまうんだしょ? 谷底には川が流れていて、キャンプ場があって川遊びしている人たちが一杯。ほとんどの人がこの公園のたった2%にしかならないこのYosemite Valleyで過ごしているに過ぎないんだそうだ。
 Yosemite Lodge at the Fallsから歩いてYosemite Fallsを見に行く。「一幅の墨絵のようですねぇ」といったらくだんのガイド氏がその言葉を一生懸命にメモっていたのは印象的だった。この滝は何段にもなっていて上から落ちてくる水量がものすごくてとてもリッチな気分にしてくれる。これが9月に入ってしまうと細々となってしまうのだという。Yellowstoneが雪に見舞われたけれども、ここの水量を見れば、あぁ、やっぱりこの時期にきて良かったなぁと思う。一番下の滝壺までは岩をよじ登っていけばどうにか行くことが出来る。もちろん下には「ここから先は危険だから充分気をつけて」的な看板がしつらえてある。
 それでも皆さん、どんどん上がって行くのだけれど、誰も彼もびしょびしょになって帰ってくる。それが実に気持ちよく感じる季節になったということか。ここの宿舎は今回の旅の中で唯一カードキーではなくて真鍮のいわゆる「key」だったのだけれど、どうもそのうちのいくつかは扉に合致していなかったらしく、ガイド氏はあっちの部屋からこっちの部屋へと飛び歩いておられた。どうやら皆さんはレストランに行かれた様だけれど、私たちはそんなヘビーな食事には到底太刀打ちが出来ないのでキャフェテリアで済ませた。済ませたのは覚えているんだけれど、何を食べたのか全く記憶がないのはどうしたものだろうか。