ほぼ足りてまだ欲 その先

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両親謝罪

読売新聞によると秋葉原事件の両親が集まった報道陣を前に土下座をして謝ったという。

 東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件で、加藤智大容疑者(25)の両親が10日夜、青森市内の自宅前で取材に応じ、「息子が重大な事件を起こし、亡くなられた方、けがをされた方、本当に大変申し訳ありません」と述べ、深く頭を下げた。
 両親は事件後、警視庁の事情聴取を受け、同日午後7時半ごろに帰宅した。集まった報道陣に父親は「事件の重大さからすると、社会に与えた不安もかなりあって、本当に申し訳ございません」と謝罪。「謝っても謝っても償いきれるものではないと思います。心の整理もできておらず、(被害者に)私ができることは具体的にまだ持ち合わせていない状況で申し訳ございません」と涙を浮かべながら、繰り返し頭を下げた。
 母親は、傍らで泣きながら頭を下げ続け、途中で崩れ落ちるように倒れると、地面に手をついて土下座した。(2008年6月10日22時01分 読売新聞)

 両親はとても辛い状況に立たされている。あの犯人の思考回路は相当に単純で、成長し切れていない様子が、短絡的な思考の展開に見て取れるような気がする。目の前の対象のわからない復讐心に燃えるあまり、計画性とは言い切れない計画に燃え、前後の見境をなくして凶行に及ぶ過程があまりにも幼児的だ。しかし、こうした幼児的な思考回路を身につけてしまったことが犯人の両親の責任なのか、それを報道陣が集まって両親を自宅前で囲むのはどうだろうか。社会部の記者のやり方に私は大いなる疑問を感じる。とんでもない事件の犠牲になった一人一人の遺族にはとてつもない悔しさ、無念さ、割り切れない理不尽な力に対する怒りを禁じ得ない。禁じる必要もない。しかし、ここまで居ても立ってもいられないであろう犯人の両親をとっちめる必要はあるのだろうか。マスコミが25歳の男はまだ独立した一人の人間ではなくて、自立していない、保護を必要とする人間として扱っているということだろうか。成人年齢の低年齢化なんて現実と全く逆だとしているということか。