ほぼ足りてまだ欲 その先

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エディット・ピアフが

 どうも昨日未明のサッカーを生中継で見てしまったのが尾を引いていて、睡眠時間が乱れてきてしまっている。友人達とビールを少し呑みながら昔話をして帰ってきたのはかなりまともな時間だったのに、ちょっとテレビをつけたらWOWOWで「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」という映画をやっていて、それを夜中まで見てしまった。ちらっと画面を見て、あぁこれはエディット・ピアフかも知れないなと思ったのだけれど、あの映画はまだ公開してからそんなに時間が経っていないという記憶だったからそんなに早くテレビで公開してしまうのかと意外だった。慌てて新聞で確かめてみると、やっぱりあの映画で、日本公開から一年にわずかに三週間ほど足りない。原題:La Môme、英題:La Vie En Roseと書かれている。この映画のエディット・ピアフ役を演じたマリオン・コティヤールはアカデミー主演女優賞を取っているのだそうだ(例によって出典はウィッキペディア)。
 この映画が終わって、余韻を持ちながら物思いに耽りながら他のチャンネルを巡回してきて元に戻してみるとまだ彼女のことを何かしている。慌てて番組表を見てみると「エディット・ピアフ ドキュメンタリー」となっていてかつての実写映像、そして関係者の事後のインタビュー等から彼女の人生を語るドキュメンタリーであった。
 彼女は1963年にわずか47歳で他界している。彼女は路上で生まれたといわれているそうで、ドキュメンタリーでもそう表現されているが、ウィッキペディアでは病院の出生証明があるんだそうだ。だからといってそこの病院で本当に生まれたのかどうかは私はフランスにとんと疎いからわからないけれど。
 実は私は彼女の歌声が好きではなかった。とにもかくにも全くちんぷんかんぷんのフランス語が嫌だった。そしてあのビブラートが許せなかったのだ。私が高校生の頃、シャンソンという音楽のジャンルは結構大きな力を持っていた。銀座の「銀巴里」というシャンソン専門の、今でいうライブハウスが盛っていた時代だ。丸山明宏、石井良子、戸川昌子、仲代圭吾、深緑夏代なんてところが唄っていた。その頃の私はビートルズに引き込まれていたというのに、品川にあった高校から銀座まで出てきてはあの辺にあった生演奏のお店を一通り首を突っ込んでいた。だから、もちろん「ACB」にも入っていたし、西銀座デパートのある高速道路の下にあった「不二家ミュージックサロン」、「TACT」にも入った。しかし、銀巴里は私にとっては少々辟易の世界だった。それでも一度っきりではなくて何度か入った記憶があるのはなぜなのかわからない。シャンソンの人たちが唄う世界が不自然な気がして嫌だった。本当にそうは見えないのにわざわざはすっぱな歌詞を唄ったり、なによりも宝塚のお嬢ちゃん達の匂いがして嫌だったのだ。それよりは潔くエレキをズギュ〜ンと足の裏から響かせてくれた方がなんぼか男らしいと思っていた。ひょっとすると丸山明宏や高英男が見せるなよなよっとしたところが嫌だったのかも知れない。その当時の私がそれが彼らのシャンソンの舞台装置だったとも知るわけもないし、実際にそうした人生を歩んでいることも知らなかった。
 この映画を見て、エディット・ピアフという人がいかに短い間に人生を背負い込んで、当時の音楽界に生きる人たちのある種典型的な例を見せていたのか、それを知ることになった。これっぱかりも調べちゃいないが、彼女についての論評はきっと星の数ほど書かれていることだろう。そしてそこにはありとあらゆる推論や決めつけも書かれているだろう。だと思いながらも書いてしまうと彼女はきっと愛されることを希求し続けて相手から、あるいはある時は神からそれを拒絶され続けて生きてきた、ということだったんだろうなぁと思う。彼女の歌声はあの細く描いた眉毛に比べてとても力強い。そしてとがったあごと薄っぺらい、如何にも幸のすくなさそうな唇がどこかに男を引きつける不思議な、捉えどころのない、なんだかわからない魅力を放っていたのかも知れない。それでいて片方には押しつけとでもいえるような全身全霊の愛を語ってしまうという、溺愛の押しつけがありそうだ。
 私は今でもあのビブラートは好きになれないというか、真似ができないから好きになれないのかも知れないという気持ちに多少変わりつつあるけれど、彼女の唄のバックグラウンドがようやくわかりはじめたのかも知れないという気にはなってきた。
 それでも、やっぱり当時のシャンソンに傾倒していた私の周りの人たちのあこがれをまだ理解できないのだ。しかし、反対にそれは「おまえなんかにビートルズの何がわかるのか、おまえなんかにブルーズの何がわかるのか、おまえなんかに・・・」といわれることと何ら変わりはない。私は長唄も、常磐津も、小唄も、義太夫も何もわからないでいる。一体、この私にわかるものがあるんだろうか。