ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

バワリンハヤル・第一日目

 光が丘というところにはこれまでにわずか2回しか行ったことがない。恩師がお住まいなので、教え子と恩師での呑み会を敢行したことがある。最初はまだ大江戸線ができていなかったときで、成増からバスで行った記憶がある。光が丘といえばお古いムキには「元グランドハイツ」といえば、おわかりいただけるだろうか。
 とここまで書いて、本当はあれはグラント将軍からつけられた名前で「グラント・ハイツ」だったのだという書き込みを発見。その当時私はこの辺に来たことがなかったからどんな様子だったのか知らないが、元の日本軍の成増飛行場帝国陸軍成増飛行場?)で、戦後米軍に接収されて米国陸軍の家族宿舎となった。白いペンキを塗った二階建てのデタッチトのような家が、緑が眼に眩しいような芝生の中に間隔を大きく取って並んでいたことだろう。私が子どもの頃金網越しに口を半分ほど開けて羨ましいように目を奪われていた、あの本牧の米軍住宅を想い出す。全面的に日本に返還されたのはようやく1973年になってからのことだ。
 Google Mapで今見ても明らかに周囲との境界線をきちんと捕捉できるかのようだ。きちんと南北に延びていて、滑走路そのものだ。
 近年都営大江戸線が開通してすっかり便利になった。わが家からも2回の乗り換えで「光が丘」の駅まで、1時間15分ほどで到達。集合時間の10分前には既に到着。おかげで、眠い。
 イベントはなにしろステージの進行がなんとひと組5分間隔が続くなんてちょっとびっくりだった。しかし、皆さん良くたった5分の持ち時間でもいやな顔ひとつしないで取り組んでくださることだとこれまたびっくりする。毎年こうしたものなんだと皆さん納得されているんだろう。
 そしてこのイベントを支えている日本人のスタッフの人たちもすごいと本当に思う。どんどんアドバイスを与えていく。そして留学生達もそれに反応する。
 そしてずらっと並んだ出店の数々。そしてそのあたりをぎっしり埋め尽くしているお客さん。疲れながらもその景色を見ているともうそれだけで面白い。
 一緒に役割を果たした青年がいうには、モンゴルだけではなくて、代々木公園では様々な国や地域から来た留学生や働く人たちが集まってこうしたフェスティバルが開かれるという。そういえばシドニーでも日本フェスティバルが開かれていたことを想い出す。
 最後には在日の凄腕演奏者が揃ったユニットが演奏して、ホーミィーまでも聴かせてくださった。
 そしていよいよ今日のトリはモンゴルの歌姫、バトムンフ サラントヤの登場。彼女が登場すると、会場の光が丘公園けやき広場に散らばっていたモンゴルスタッフがどんどん集まってきてステージの前はとうとうこの日最大の凝集度(そんないい方はしないかも・・)を見せ、大変に盛り上がった。やっぱり、上手い!
 今日は面白かったけれど、外だったせいか、はっきり云って、ちょっと疲労が大きい。10分押して終了。
 汗をかいたので帰りにみんなで寄ったイタメシ・ファミレスで買ったばかりのH&Mの半袖シャツを着たら、なんだ、ちょっと小さいじゃねぇか、と鏡に向かってつぶやく。「ちいせぇんじゃねぇんだよ、おまえが太ってんだろ!?」と答えが(自分の心から)返ってくる。