ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

映画「Crossing Over」

 ハリソン・フォード主演なんだろうけれど、これ、主演というのか、狂言回しというのか、邦題『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』をTOHOシネマズシャンテに見に行った。
 公開されてからもう既に一ヶ月。今や朝一番の10:55の回と平日一番お客が入らない16:25の回の二回だけになっていてそろそろ終わりが近いのかもしれないとおもったので外に出るチャンスに。
 いつもだったらネットで切符を確保してからでかけるけれど、出掛けついで何があるか予測がつかないので、今日は現場に行ってから。14:30頃に辿り着いて切符を買うと殆ど真ん中の席が買えてなんだか拍子抜け。入ってみると、なるほど、ざっと見回してみて全部で20-30人いるかいないかだ。
 アメリカの不法滞在者不法就労者をめぐる問題点をざっと洗い出してみたシリアスな話題提供、そしてなんだかUS Immigration and Customs Enforcementの啓蒙映画なんじゃないかと思うような流れでもある。
 カリフォルニア南部の縫製工場にI.C.E.が不法滞在、不法就労者を一網打尽に取り押さえるところから始まる。情にほだされちゃう中年のひとり暮らしの捜査官がハリソン・フォードの役回り。
 オーストラリアからやってきてハリウッドを目指す不法滞在の女性が偶然(できすぎ)immigrationの審査官と知り合い、許可を出すことを条件に身体を許す。その審査官の奥さん不法滞在者を支援する弁護士というのもできすぎな気はしてしまうけれど、ただ登場者を別個に登場させるとシナリオとしてつまんないもんねぇという小賢しいシナリオ・ライターの意図が面倒くさいような、あるいはテレビ・ドラマ的な手法というか。
 それにしてもハイ・スクールの宿題で「米国がこれまでやってきたことに対してNOを初めて突きつけたという点では9.11は意味を持つ」と発表したイスラムの少女を、その思想が危険だといってFBIが乗り出してきて摘発するなんてことが実際の米国では行われたというのだろうか。多分に考えられることではあるけれど。少女は自身が3歳の時に親が不法滞在をはじめたことが判明してアメリカ生まれで米国籍を持つ弟と妹、そして父親をアメリカに残し、母親と二人で母国に返されてしまう。この話は日本でも大変に話題になったフィリピン人家族の問題を思い浮かばせる。
 陸つながりの国境を持つ、ということは四周を海に囲まれた国境に守られている日本にいてはすぐには想像ができない。
 日本でももう既にそんな状況になっているけれど、米国がこうした不法入国者不法就労者なくしてはなくしては成り立たない経済構造になっていることは周知の事実。縫製工場、野菜・果物のピッキング、ビルメンテ作業といったようないわゆるun-skilled laborで事足りる部分の殆どは移民の仕事になっていて、不法入国・就労者を厳格に取り締まるとこうした部分で働く人が払底してしまい、最低賃金が守られると物価が上がっていく、あるいは外国にアウトソーシングして仕事そのものが減少するというジレンマに悩むことになる。
 こういう問題について語ると必ず「入ってきた奴が悪い」「法を守らない奴が悪い」「金儲けに来た奴がそれに失敗しただけだ」「わかっていてやってきたんだから文句を言うな」という話になって終わる。
 この問題の背景には国家間の格差の問題が大きくそして昔から横たわる。たまたま幸運にしてラッキー・カントリーに生まれた、そしてそこで育った人間は既得権があり、たまたまそうでない、明日の糧にも困る環境に生まれた人間は「残念だったね」という一言で葬り去られてしまう運命なのかという根本的な命題にぶつかってしまう。そんなことは絵空事で、あり得ないんだよという決着の付け方はあまりにも独りよがりなんだけれど、それを主張すると必ず「偽善者」という言葉を投げつけられて終わる。
 私たちのこの国ももう鎖国しては暮らしていけるわけではない。地球上にある多くの国と比べても決して恵まれたラッキー・カントリーではないけれど、資源の代わりに知恵を駆使してやってきた。その知恵を発展させることのできる環境は世の中がうまい具合に転がって手に入れた。どちらかといったら自分で切り開いてきた環境というよりもたまたまいくつものことがうまい具合に重なり合って転がり込んできたといってもまちがいじゃない。だからこそその幸運を他の人にも分ける必然があるんじゃないだろうかと思っちゃったりする。
 外国人研修生・実習生という嘘の名前をつけたun-skilled laborの導入はもう世の中を謀るのは止めて、出稼ぎ労働者の出稼ぎ労働者としての割り切りとするべき。介護分野への外国人の導入も期間の限定、国家試験条件という制限策をもう一度見直す必要があるだろう。
 政治の役割は今現在の対応策を講じるだけではなくて、先を予見した制度改革に手をつけるということではないだろうか。利権のためだけに政治を動かしてきた自民党の手下としての活動に長けてきてしまった官僚が、新政権下にあってどこまで思考改革ができるかはこの国の将来に大きな変化をもたらす結果となり得る。今こそがこの国の大チャンスなんだろう。 
 映画の話だったはずだなぁ・・・。
 そうそう、オーストラリア人女性が母国へ自主退去する時に乗って帰る飛行機が「Pan Australian Airlines」としてあってあり得ない飛行機会社名で笑える。どうしてこんなシリアスな映画なのにぜってぇありえない名前をつかうんだろう。何か問題があったのかなぁ。
 米国の国籍問題としては今読み返しているドウス昌代の「東京ローズ」にも多くの問題が登場する。米国生まれの日系二世たちが戦中の日本でどんな立場に立たされていたのか、そして戦後になっても彼等がどんな扱いを受けてきたのかを知る意味でも詳しく読むと興味深い。