ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

北野天満宮 銀閣かすめて 本願寺

北上

 いよいよ今年の京都も最終日。市バスの50番でどんどん北上。北野天満宮を目指す。しかし、初天神は今月の25日だし、梅はまだ咲いていないし、というので境内は静かなもの。 杉の屋根の葺き直し作業をしている職人さんを、私を含めた何人かの爺さんが興味深そうにそれを見守っているというくらいにのんびりした朝である。横に停めてある軽トラックの荷台にはそれに使う杉板の束がいくつも載っかっている。ふたりの職人さんは釘をたっぷり口に含み、一本取り出してはトントンと打つという昔懐かしい風景だ。
 50円の用紙に書いて出品料200円を払えば誰でもが書初めを出品できるそうで、これでもか、これでもかと張り出してあるのが天神さんらしいといえばらしい。
 門には星梅鉢紋が描かれた提灯が掛かっているのはわかるけれど、必ずもう片方には三階松の紋が描かれた提灯が掛かっているのがわからない。これはどなたの紋だろう。死んだうちのオフクロがつけていた実家の女紋はこの三階松だったなぁ。
 こちらを読むと「北野の地が菅公の霊が大宰府から帰る前に一夜にして千本の松が生えたという有名な地であって、それに因んで「松」を神紋にした」と書かれている。
 天神さんといえば寄進された牛の像が必ずつき物で、ここにもそうした牛が献獣として何体も参道に置かれている。で、これに触るのがいい伝えなんだけれど、その牛の傍らに必ずアルコールの消毒液が置かれているのに気がつく。なるほど、いまどきらしい。

 東門から抜けて上七軒を辿り、そこから千本釈迦堂にまわってみる。正式には瑞応山大報恩寺というお寺さんなんだそうで、ここの本堂は応仁文明の乱にも焼けていなくて創建当時のものなんだそうで洛中最古の建造物で国宝だというのだけれど、天満宮に比較しても訪れる人も少なくて、ひっそりかんとしている。私は写真も撮らずに来てしまったけれど、おかめさんの大きな像があって、ここではおかめさんで有名。

 北野天満宮前のバス停留所の前に有名な豆腐屋さんがあって、そこではランチも食べられるというのを、バスを降りたときに見ていたので、ここでランチを食べようと今出川通りを戻る。この辺では通りに面している家々が通りに正対して建っていない。軒並み斜めだ。なんでだろうと思うと通りが南南西から北北東に斜めに通っていて家は南北に建っているのだ。なるほど、これならお陽様が奥まで射すという訳か。巧くできているなぁ。

ランチ

 お豆腐屋さんはそんなに大きくなくて、ランチは満員では入れない。ならば、ずっと前にメモしてあった多様なソースで知られた学生街のハンバーグの店に行こうと、バスで出町柳駅前に向かう。自分で書いたポンチ絵の様な地図が誠に要領を得ないで、歩けど見あたらない。気がついたら百万遍の交差点まで出てきていて、途方に暮れる。しょうがない、諦めようと云いながら交差点を北にとってちょっと行ったらそこにあった!「ジェームス・キッチン」という。一階はハンバーグ専門らしく、外に券売機があるんだけれど、種類がたくさんあって、その上、その大きさ、ご飯の分量、トッピング等様々な選択肢があって慣れないと何が何だか分からない。私が券売機で迷っていると連れ合いが、サラダだとか、トッピングも考えようか、などと余計なことを云うので、サラダのみ採用してあとはすべてむげなく却下した。
 私たちが入ったときは丁度席が埋まっていたので、端っこであくのを待つ。それほど経たないうちに席が空いていよいよだ。すぐ目の前にふたりで座っていた見るからに学生と覚しき男たちが頼んだ皿が来たのを見て眼を見張る。ハンバーグは二つあるみたいだし、なにしろそのご飯が私の茶碗の5杯分はありそうなてんこ山盛りの皿。台地のようだ。そこに彼は各テーブルに置いてある漬け物をどさっと載っけて、わしわし喰っている。よっぽど頼んで写真を撮りたかったのだけれど、ぎりぎり我慢した。
 私は和風ソース、連れ合いはバジルトマトソース。ここのところずっとこの種のものを食べていないので、なんだか久しぶりに食べた気がする。
 この店は二階もあって、こっちはグラタン、パスタ、なんてものがあるようだ。次回は上かなと思わないではないが、多分やっぱり一階を選択しそうな気がするな。それにしてもなんで「ジェイムス」なのだろう。

百万遍

 東大路通りの向こうに大きな寺の屋根が見える。へぇ〜この辺にも大きな寺があるんだねぇ、なんていって行ってみる。「あるんだねぇ〜」なんて話ではなくてこれが浄土宗本山の一つ、百万遍知恩寺なんであって、これがあるからここを百万遍というと云うわけである。知らないというのは呑気なもんだ。それも横から入って横に出た。来年は法然上人800年大遠忌だそうで、ここの入り口にもそれを伝える大きな看板が出ている。この話は知恩院の山門にあがったときにもガイドの方からお伺いしていた。
 来年は浄土真宗親鸞聖人750回大遠忌法要があると東本願寺に行っても、西本願寺に行っても大きく掲げてあって、来年は京都はあっちもこっちも大変な大賑わいになるんじゃないのだろうか。こうしてみると京都にいるとこの日本という国は仏教がらみがなくては何も動かないのじゃないかという気になろうというものだけれど、東京にいていつも通りの生活を送っていると全く何も感じない。

来年へ残す

 昨年は工事中で行くのを断念したのは銀閣寺と竜安寺だった。竜安寺は工事は終わっているものの、素屋根撤去のため2月25日まで拝観停止とされていたけれど、いくら何でも銀閣は終わっているだろうと、また銀閣に向かう。ここにはまたまた人力車の兄ちゃんたちがたむろっていて、いやににこやかに馴れ馴れしく親しげに声をかけるのがたまらなくいやだ。これは浅草の浅草寺の雷門前にたむろする彼等と同系列のようで、あっちも気持ちが悪い。なんだかまるで新興宗教のようで、モルモン・テンプルに足を踏み入れたときのようだ。
 銀閣道からあがっていくと、沿道の店はなんだかひと頃の清里(こんな例だともう若い人たちには分からないだろうな)のようにこんなところで売らなくても良いだろう、と思うようなお店ばかりが並んでいる。入り口近くまで来て、ようやく工事がまだ終わっていないことを知る。迂闊にもいくら何でももう終わっているだろうとタカを括ってやってきたのが間違いの元。疲れた足を引きずりながらバス停へ戻る。

東と西

 さればと、5番のバスに乗って烏丸六条まで下る。バスが四条河原町に辿り着いたのを覚えていないのだから、かなりの距離をバスの中で寝ていたらしい。気がついたらバスは一杯の人になっていて、降りるのに大変苦労した。こんなところで降りる人は他に誰もいない。足を引きずり引きずり、浄土真宗大谷派に入る。大きい。大きい。阿弥陀堂は多分来年を控えてと云うことだろうけれど、屋根の葺き替えの大工事を実施中である。浅草寺と同じように大きな工事用の建て屋の中にあるけれど、中に入ることはできる。広くて驚く。
 ここまで来たらやっぱり浄土真宗本願寺派西本願寺をも訪問しなくてはフェアでないとトコトコ歩く。もう、これ以上はだめだ・・というくらい疲れた。それにしてもでかい。

 帰りの新幹線は無線LANがつながる。今年の京都旅行は以上。