ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

お盆

 昨日はSNBの練習があって、よく知っている2曲なんだけれど、1曲はスウィンギィ〜に、もう1曲はブルズィ〜にやるという変速球。なかなか面白いんだけれど、決めごとがそれぞれにあるので、そこの所を全員が共通に認識しなくちゃならないので、手間暇が掛かる。
 こういうアンサンブルに近い練習をやっていると想い出すのは、ずいぶん昔のことだけれど、吹奏楽をやっていた頃に、練習はトレーナーがとてもゆっくりと懇切丁寧なテンポでやり、本番になるとあっと驚くような早テンポで入っちゃうということがあって、これが意外ときっちりできて、この辺がトレーナーのトレーナーたるゆえんだったりして面白かったことなんである。
 とにかくとても暑い一日だったけれど、街中はびっくりするほどスカスカで、なにかの魔法にあって車を全部どこかにかき消されてしまったくらいだったし、反省会に入った白木屋系の居酒屋は従業員がやる気を失っているくらい、お客はいなかった。こんな東京も静かで良いけれど、多分これが三週間ほど続いた時に、みんなどこかに誰かを捜しに出掛けちゃうのかも知れない。あ、だから地方から都会に人びとがどんどん集まって来ちゃうの?いやいや、そうじゃない、それは仕事が地方にないからなんだけれどね。スカスカだと仕事が少ないんだものなぁ。
 ところで民主党内閣閣僚は全員靖国に参拝しなかったんだそうだ。首相は千鳥ヶ淵に出掛けたそうだ。もう恥ずかしいから触れたくないんだけれど、都民としてこんな奴を知事に選んでしまったことを大いに恥じている不良小説家がテレビのインタビューに答えていた

 15日午後、東京・九段の靖国神社を参拝した。昨年の8月15日は2016年夏季五輪の招致活動などで海外出張しており、「終戦の日」の参拝は2年ぶり。
 参拝後、菅内閣の全閣僚が同日に参拝をしなかったことについて記者団から尋ねられると「日本のことを考えないやつのことを話してもしょうがないよ。この国はこのままじゃだめになるよ」と述べた。(日本経済新聞2010/8/15 22:18)

 あぁ、そうですか。あんたが都知事をやっている方がよっぽど「この国はダメになる」と思うなり。
 靖国に行かないことが戦争によって殺されてしまった人びと(その原因がなんであろうと)をないがしろにしているのか、といったら決してそんなことはないわけで、それぞれがそれぞれの心の中で、あんな具合に戦争を引き起こしてしまい、そこに引きずり込まれて、いやその気にさせられちゃって気がついたらその渦中にいて、あの島の浜辺や、あのジャングルの谷間で殺されちゃった人たちに、大変でしたねぇ、申しわけありませんでしたねぇ、とお声をおかけするということでお慰めし、その代わりに、この国ではもうあんな具合にみんなで一斉に騙されちゃうようなことにはしません、と誓うことに意味があるのではないのか。それこそが慰霊ではないのか。
 「死んだら神として靖国に祀られるのである!」と叱咤激励されて、その気になって死にむかっていってしまった人たちにとってはそのまま「立派に神となったんだ、良かったな!」といってあげるのが良いのか、あなたがそんな具合に死んでしまったことを私たちは決して忘れずに、あんな具合に放り出されてしまうことのないように、これからの日本を真摯に見つめていくつもりです、と誓う方が良いのかといったら、私は後者だと明確に思う。
 だから、旧軍隊のままの格好をして、ラッパを吹き鳴らしながら行進のようなことをする戦友の皆さんは悔悟の念からそうしているのかも知れないから(多分違うだろうけれど)、仕方ないにしても、多くの国民を集めておいて、「陛下のためだ、お国のためだ」と送り出しておいて、そのまま放りだしたその張本人も一緒にそこにいると思うと、とてもそこに出て行く気にはならない。
 あの単立神社に祀られている人たちの中で自己批判大会になっているんじゃないだろうか。「あの時、増援要請したにもかかわらず、なしのつぶてだったのは、一体何でなんだっ!」と。
 ところで、あの戦争を生き抜いて、復員してから亡くなった方々は死して後、あそこに祀られているんだろうか。

 内閣総理大臣かあるいは官房長官が指示をして全閣僚が靖国参拝を辞めているのだとしたら、それは宗教信条の自由に反すると安倍お坊ちゃまが仰るのだけれど、閣僚の誰ひとりとしてこの日に靖国を参拝しないのは怪しからんというのは宗教信条の自由には反しないのか。