ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新宿

 2週間に一度の新宿の日で、今年はこれが最後である。来月からの三ヶ月間の申し込みをしていなかったことに気がついて申し込んできた。これで一体何年くらいここに通っているんだろう。今度は昭和史の中で国境について考えるということだそうで、歴史の中で北方領土やら、問題の尖閣諸島などについて考察してくれるということになっているのだそうだ。これまた興味深いものがある。
 今日は蒋介石についての言及であったけれど、保阪正康蒋介石の息子、一人は日本人女性と中国人男性との間に生まれ、養子となった蒋緯国に数回逢っているという。
 この三ヶ月間の最後の回であったこともあるのだろうけれど、面白い話を聴いた。確か蒋緯国の話として語られたのだったと記憶している。日本の対中戦争には、目標も、理由もなかった。こういう闘いというのは古今東西、とことんまで行くしかなくて、そのとことんまで行った挙げ句に突然崩落してしまうのが常だ、というのである。ナポレオンも、ヒトラーもそして日本軍の対中侵略も確かにそうだというのである。
 もうひとつは対米、対英戦争としてこれらの国に日本は戦争をして、敗れ去ったという意識はあるけれど、日本人には中国に対して戦争をして、中国に敗れたという意識がなかったのではないかという。そういわれてみれば、正にその通りだろう。
 今日は終わった後に、朗読の稽古に来ている知人と落ち合って久しぶりに昼飯を喰おうよと二週間前に約束をしていたのだけれど、とうとう落ち合うことができなかった。今の若い人たちであれば直ぐに携帯電話で「今どこ?」とやるところだろうけれど、私は彼の携帯電話も知らないし、私の携帯電話の番号を彼は知らない。しばらくうろうろしたのだけれど、見付けることができなくて、なんだか落ち着かない気分のまま帰る。
 じゃ、どうしようかと思いながら、取り敢えず本屋に入ることにした。すぐ傍のBook1stではなくて東口のジュンク堂に行きたかった。それはなぜかというとあそこの6階に建築関連のコーナーがあってそこに「アールト」と大書した彼の作品写真集があったのを覚えていたからだ。今年の夏に旅行に行くまで、実は私は彼のことを何も知らず、面白い建物について聞いたことがあっただけだった。ロヴァニエミの図書館もとても心地良いものだったし、ヘルシンキのあの本屋さんもとても居心地の良いものだった。私なんかは彼の神髄をまだきっと見ていないのだろうけれど、興味深いものがある。
 この建築関連本のコーナーには欧州各国の見もの建築物を写真付きでリストアップした本があることを発見した。これはよい企画だけれど、今、この本を手にする余裕はないな。
 カレル・ヴァン・ウォルフレンの「アメリカとともに沈みゆく自由世界」は黒い表紙の本で、まるで目立たない。検索機でこの棚だ、と表示されたところに行っても気がつかないくらいのものだったけれど、ちょっと逡巡して手にしただけだった。ひょっとして、多分、これは文庫になるんじゃないだろうかという気持ちがよぎったのである。でも、この手の本はさっさと読まないと意味がないだろうなぁ。
 結局新書の新刊棚で出たばかりの「写真で読む昭和史 占領下の日本」水島吉隆著 太平洋戦争研究会編(日経プレミアシリーズ)と村上春樹の「アンダーグラウンド講談社文庫を入手した。前者の著者は1969年生まれ。表紙の写真は銀座三越前で握手する二人の兵士で、真ん中の電柱には「TIMES SQUARE」と書いてある。

写真で読む昭和史 占領下の日本 (日経プレミアシリーズ)

写真で読む昭和史 占領下の日本 (日経プレミアシリーズ)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 ジュンク堂新宿店を出たら大層腹が減っているのがわかった。そりゃそうで、もうすでに午後2時になろうとしている。どうせなら丸ノ内線で銀座に出て銀座松坂屋地下一階の「肉のスギモト」で525円也のすき重を食べてやろう、多分この時間なら混んではいないだろうと向かう。
 銀座は不思議なことに中央通りだけは平日とは思えないような人出なのに、一歩裏に入ると驚くほど人がいない。ずっと工事中の三井不動産と銀座コマツのビル開発はスズラン通りを跨ぐ回廊のようなものができていて、あっという間になにやら見慣れない雰囲気ができてしまった。四丁目の三越のように公道の上を利用するようだけれど、これって法的にはどんなことになっているんだろう。
 並木通りを歩くと、とっくに三笠会館がなくなってVictoriaのゴルフショップになっている。三笠会館はどうしちゃったのだろうか。カントリーの「ナッシュビル」が4階に入っている酒屋さんだったところはなんだか知らないけれど、ブランドのお店になっているけれど、どうやら「ナッシュビル」は健在のようで、看板は前のまんまだ。
 面白かったのはLupinの奥の銀座New Torigin(平たくいえば鳥銀の美味しい方)の木造の建物の入り口にまでクリスマス・ツリーが飾ってあったことだ。およそクリスマスとなんの関係もないだろうに。あそこの釜飯に鳥スープを掛けて喰うと美味いのだけれど、クリスマスなんてからまないで貰いたいもんだ。
 で、その「スギモト」なんだが、なんとこの時間でもまだまだ何人もの人が並んでおって、私は我慢しきれない。いつものように乾山でひれカツ丼を食おうと入ると、こともあろうに、この時間のこの店のたった5つしかない椅子に、大の男が三人で占領しておる。普通こんな時間にここに入るのはおばさんとおばあさんと決まったものだというのに、である。しかも、その座り方が気に入らない。男二人は一番奥の席を空けたまま、椅子の後ろを壁にぺったりつけて、誰も入れてはやらないぞ、の態度。手前の角の二人分の席はと見ると、バカな50代の男がこれ見よがしに隣の席にiPadを拡げ、これ見よがしに電子本なんぞを読みながらカツカレーを喰らっておって、バカ丸出しだ。
 私はどっちかが出るまで外の椅子に座ってみていた。二人組が出たから、一番奥に座ってモクモクと食べる。これ見よがし男は私が半分くらいまで食べるまで、グズグズしておった。そういう奴はこういうダイニングーインで食事をするなってんである。
 地元の図書館に立ち寄って、モーツアルトのCDを借り出す。いよいよ聴いてみようと思い出したのである。
 家に帰ってから、夕飯の献立を聴いて、思わず笑う。なぜって、わが家創立記念日を祝してすき焼きだったのである。「肉のスギモト」で食べられなかったのは、こういう理由があったからなのだった。世の中は面白いのだ。