ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

消極的自死

 今年を振り返るのはチョイと早いかもしれないけれど、振り返ってみるとちょっと堪えた年だった。8月の下旬くらいまであの暑さにさんざん痛めつけられたのが、大変にダメージになったのだと考えればよいのかもしれない。あれから一気に体力が衰えてしまい、それだけでなくて精神的にも疲れ果ててしまったようだ。
 その上、何よりも参ったのは喉が昔のように戻らなかったことだろう。かつての私はどんな人にも負けないくらいの(いや、そんなことはないか、大阪にいっているあいつには負けるものなぁ)大きな声が出て、いくらでもそれが続いたものだったけれど、8月の病気以来、すっかり見るも無惨(あ、この場合は聴くも無残というべきか)な声となってしまった。
 それで、これまでのように唄うことはできない、ということに気がついたのだ。きっと周りの人にご苦労をおかけして唄ったら唄えないことはないのかもしれないけれど、未練たらしいことはしたくはない。良くそれでも唄う人を見ることがあるけれど、それはいくら何でもしたくない。だいたい周りの人に失礼だ。やりたければひとりカラオケでやる。多分なんかしらの支障が出ているのだろうが、それは加齢現象のひとつかもしれない。加齢現象も手だてを打つことによって乗り越えられるのかもしれないと思うのはこの時代なんだからごく普通のことかもしれないけれど、どっちかといったらそこまでのことをしたくない。
 自然の摂理ってことなんじゃないかと思うのだ。それで良いんじゃないのかということなんである。つまり私たち生き物はいずれにしろ死ぬ運命にあるのであって、意識的にその運命に対して竿を差すという行為に走る人もいれば、その運命に乗って流れていく人もいるわけで、それを標題のように「消極的自死行為」ということができるんじゃないかと思うわけなんである。
 いやむしろこれを素直にいえば単なる「運命論者」なんだろうけれどね。
 そんなわけで、今年という年は私の人生の上で大変にリマーカブルな年なんである。