ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

田原総一郎の遺言

 昨日の夜中というか、今朝未明というか、テレビ東京で「田原総一郎の遺言(つまんないサイト)」なる番組を長々とやっていた。BSジャパンが作った開局10周年記念番組で、10月に放映された番組だそうだ。BSのテレビ局が作られたのは2000年だったわけだけれど、全部の局がいっぺんに開局したからBSのテレビチャンネルは全部が一斉に10周年なんである。
 BSの局はNHK以外は殆ど通販番組で、表(つまり地デジ)の番組の再放送枠みたいなものもそんなにちゃんとやっている訳じゃないから、この辺の10周年番組は各局にとって相当頑張ったのかもしれないけれど、表のスタッフがやってんじゃないのだろうか。
 私はBSで日頃旅行番組を見ている。BS日テレの「ヨーロッパ水紀行」「世界水紀行」というのはスポンサーが栗田工業だからこの企画ができたのか、あるいはこの企画だからといってスポンサーに売り込んだのだろうかといつも思いながら見ている。「水紀行」というだけあって川や海に関係するところが出てくるわけで、人間は不思議なことに水際、あるいは水が見えるってことが大好きだ。どこの話を聴いてもホテルで売りなのは「ocean view」やら「water view」の部屋で、そこは反対側の部屋よりは料金が高いのがふつうだ。恥ずかしながら死ぬまでそっち側の部屋に泊まる余裕がないのが悲しいが。
 BSフジは「欧州鉄道の旅」というのをやっている。これは飽くまでも「鉄道の旅」だから、例えばウィーンが出てきても、中心になるのは決して旧市街のカフェではなくて、西駅に発着する国際列車がどこからきて、どこへいくのか、特にユニークな特別列車ツアーなんかだったりするところが、欠点といえば欠点なんである。
 「街歩き」というと普通はNHKの「世界ふれあい街歩き」が秀逸で、金がかかっていて、あちこちに行っていて、語りが一流のタレントを起用していて面白い。だけど、ここでは触れずにBS日テレの「大人のヨーロッパ街歩き」てのがある。
 BS朝日には「世界の船旅」という番組があって、こっちはちょっとばかり縁があるとは思えない旅の番組だから、それ故に見たい気もするし、だから、見たくないという気もする。
 クルーズ宣伝番組としてはBS-TBSで「豪華客船で行くシネマクルーズ」という番組が放送されていた。「ぱしふぃっくびいなす」という日本船籍のクルーザーでの旅の宣伝番組である。103日間の世界一周クルーズの記録番組で、このクルーズは最も安くて3,200,000円で、一番高いと18,000,000円もする。これは2名1部屋使用でのひとりあたりの金額だ。こんな金をぽんと出せるような人たちが出てくる番組なわけで、この私がボ〜ッと見ているわけがないのだけれど、船が好きだからどうしてもその視点で見てしまう。もし、棚ぼたでドカンと金が手に入ったとしても、この船にだけは乗らないだろう。日本人のひょんなことから金を手にしてしまった鼻持ちならないような爺さん婆さんばっかりの船旅なんて金輪際願い下げだよ。多分、QE-2とか最新鋭の南極ツアークルーズだったら乗ってやっても良いけれど。
 あ、いやいや、このエントリーはそんな話じゃなくて、田原総一郎だった。
 それくらいのBSテレビだから、10周年とはいえ、日経が実権を持っているBSジャパンテレビ東京でかつて社員田原総一郎が作ったドキュメント番組を振り返るという、実にマイナーな企画なんである。
 田原総一郎早稲田大学の出身だからなのか知らないが、この番組はどうやら大隈講堂から中継録画されて造られたらしい。しかし、あの講堂が超満員になっているわけではないのが至極印象的だ。私が見たのは山下洋輔を取り上げた「バリケードの中のジャズ〜ゲバ学生対猛烈ピアニスト〜山下洋輔1969」という番組で、山下洋輔は当時、27歳で妻と二人暮らし。フリージャズの大御所として名を馳せていた。この番組は早稲田大学4号館バリケード内で演奏したところを頂点とする彼を追いかけたドキュメントである。その日、何派か知らないが三派のどこかのセクトの学生達が大隈講堂からグランドピアノを「わっしょい!」と運び出し、どうやら民青が拠点としていた建物に運び入れ、そこで勝手に山下洋輔トリオの演奏をやったらしい。そのピアノを運んでいた学生の中に立松和平も、北方謙三(ちなみに北方謙三のオヤジは私がいた会社におられた。あれ?彼は中央大の筈だ。)、伊集院静(オイオイ、お前は立教だろ!)もいたんだそうで、そりゃ驚いた。
 山下洋輔のピアノははっきりいって直面して聴きたくない。聴いても面白くも何ともない。ただ一回だけ彼のピアノを聴いたことがある。それはここにも何回も書いたのだけれど、1970年のスウィング・ジャーナル主催の横浜文化体育館での「全日本ジャズフェスティバル」だった。彼のあとは佐藤允彦だった。当時、あの類の演奏は当時の青年の一人としては、支持しているぞというスタンスを取らないと格好がつかなかったから、わかった顔をしたものだけれど、実はあんなの好きじゃない。スウィングした方が気持ちが良いのに決まっている。確かにあの頃、演奏してみると何の縛りからも解放されるということが、究極のアド・リブなんだという論理を掲げていくのはちょっとその気になることができた。私は一時ブルーズバンドのパーカッションだったことがあるけれど、そのメンバーでフリー・セッションを10分、15分とやったことを良く覚えている。
 しかし、このドキュメントに出てくるあの場面もこの場面もすべからく演出なんだと田原も山下も明かす。田原はやらせを効果的に使うことによってよりその現実を効果的に現すことができるのであれば、それはそれで正解なんだと強調する。番組の手法としてはそれはアリなのだろうかという疑問を抱く。だったら、朝日新聞の珊瑚のやらせ写真はどうだろう。それを堂々と胸を張って「それが番組作りなんです」というテレビの現場はどうだろうか。私は間違っていると思う。効果的にならないのだとしたらそれが現実なんであって、それは他の方法で補完するしかない。
 彼の「朝まで生テレビ」の限界もそこにあるんじゃないのか。彼は自分が思うようでなければコマーシャルに逃げるか、他の人に振ってしまう。この番組はその後、ロマンポルノの白川和子ともう一本のドキュメントを放送したらしい。最後にフロアーからの質問に田原総一郎が答えたのだけれど、ひとりの青年がその点を田原に質問する。意図的に発言を切り替えているのかと。すると田原は「そんなことはしていません」といって切ろうとする。それでもその青年は食い下がる。田原は逃げる。彼の限界点はそこにある。
 いずれにしろ、田原がテレビ朝日を舞台に一時代を築いたことは間違いがない。ある意味では日本のラリー・キングだったかもしれない。しかし、残念ながら既に賞味期間は終わったといって良いだろう。
 最後になったけれど、白川和子をわざとらしく取り上げるそのスタンスについても、私には嫌悪感が残る。当時、花柳幻舟や一条さゆりといったあたりを取り上げるのがとても流行った。それはそれで良い。そういうエンターテインメントが繁華街のど真ん中では決してなくて、そこからちょっと外れた裏侘びしいあたりにションベン臭く存在したことを考えたらわかりそうなものなのに、それをわざわざガラガラと音をたてて真ん中に引きずり出し、四方八方からライトを当てて、ワイドのレンズで舐めるように撮影する、その居直りが好きじゃないのだ。いいんだよ、そこにそのままにしておけば。偉そうなんだよ、そのふんぞり返ったやり方が。