ほぼ足りてまだ欲 その先

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朝生

 朝まで生テレビはまだやっている。いや、田原総一郎が私にはもう限界だと思われるのだけれど、テレビ朝日はまだやる気だ。ひと頃は宮崎哲弥田原総一郎の後釜に座って番組を続けるのだと思ったけれど、どこかからか彼はそのポジションを追われてしまって、今やこの討論番組と思われている田原総一郎番組にはお呼びがかからなくなった。
 番組のサブパーソナリティーとして若々しかった渡辺宜嗣もそろそろテレビ朝日の中では重鎮というスタンスに立つくらいになってきた。大声を張り上げていた大島渚もその好敵手だった野坂昭如は両者共に病に倒れている。
 昨日というか、今朝未明の番組では検察疑惑について始まったものの、現場での被害者といっても良いだろうと思われる人は元枚方市副市長小堀隆恒だけ。どう考えても、今の日本の検察、警察が前近代的風土の中におり、その延長線上に裁判所があって戦前の「お上、お白洲」から何も脱却していないことは明らかだ。頼っても頼りがいがなく、一度嵌ってしまったら孤立無援となって世間から退場するしかないという状況にいる一般大衆はただただ恐れ入るばかりである。
 そうだからこそやられる側に立つことよりはやる側に立つ方がなんぼか有利であって、これまでの社会ではそれを目指すことになんら不可思議がなかった。そして、なかなか諦めきれなかった。
 しかし、今では諦めるしかない層はどんどん諦めるようになってきてしまった。こうなると、諦めきってしまった人生の送り方というのがなかなかマイノリティーではなくなってくる。
 この諦めきった人生の送り方というのは日本ではここ15年ほどの現象かもしれないけれど、欧州ではもうずっと前から教育・職種に関する階層化というのは明確だったから今更なのだろうか。
 あ、話はまたまた飛んでいる。