ほぼ足りてまだ欲 その先

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カンニング

 じゃ、しょうがない、ここで白状しようか。これまでの人生でたった一回だけカンニングしたことがある。それは1969年の1月下旬のことだっただろうか。朝から東京は雪だった。学校に行くのには日頃は山手線なんだけれど、雪の影響がでているということだったので、東京駅から丸ノ内線で行くことにした。ところが丸ノ内線は東京から池袋までの間に2カ所地上に出る。お茶の水のところはまだしも、後楽園から茗荷谷にかけては殆ど地上を走っている。日頃から乗っている訳じゃないからそれを失念していた。
 ここで丸ノ内線が滞っていたのだ。なんだ、わざわざ日頃と違う路線を取った意味がない。結局やっぱり遅れてしまって(そんな日に早く家を出ない自分が悪いのだけれど)学校に着いた時には既に試験が始まっていた。教室にいた試験官(彼は多分院生だったのかも知れない)は始まってからまだ20分経っていないから受けることはできるけれど、どうするかと聞く。
 この試験は受けないわけにはいかないのだ。当時のわが母校のシステムは(今は全く違ってしまっている)1-2年に一般教養で必修の授業はすべて単位取得していないと3年になれないというものだった。軟弱大学だと思っていたのに、意外と厳しいシステムで、驚いたけれど、出席についてもかなり厳しくて、出席日数が足りないと期末試験の受験資格を失うというものでもあった。こっちの方は毎週自分の出席日数がどうなのか固定教室(なんと担任までいたのだ)に張り出され、毎回ぎりぎりのところでこっちはクリアしていた。学生の方もだけれど、教務部はこれに相当なる労力を割いていたのだ。
 この辺の学校側との間の丁々発止もなかなか面白いものではあった。人類学の授業での渡辺君による代返発覚すんでの所で逃げおおせた事件なんてのは血湧き肉躍るものでもあったし、本館二階の大きな教室での(なんのタイトルだったか忘れたが)宇宙について蕩々と語るという結構面白授業の時に返事をしておいてから床に四つん這いになって教室を抜けだたりして、なんとも高校生レベルの学生で、今の学生を批判する資格なぞ全く私にはないんだなぁと今になって気がついたのである。
 で、私は2年の時の担任のドイツ語の授業の期末試験を失敗して、この日の試験が追試験だったのだ。彼の授業で私の席は(アルファベット順だったという記憶)なんと真ん中の一番前で教壇の真ん前だった。なのに、なんで試験で落ちたのか不思議なようだけれど、これには原因がある。私は彼の授業で毎回思いっきり寝ていたのである。目の前で毎回寝ている学生にその担任教師(もう名前も思い出せない)がとうとう腹を立てた。ある日気がつくと目の前にその教師の腹が見えるのである。教室がしーんとしている。ただならぬ雰囲気に頭を上げると隣の自転車部の星野君が(彼は今どうしているんだろう、そして突然私にはなんで彼の名前と顔が瞬時に蘇るのだろうか。もう卒業してから40年も経っているのに。)私に小声で「読むんだよ!」と教科書を指さしている。で、慌てて立ち上がって星野君が指さしたセンテンスから読み始めた。読むだけはできる。で、勢い込んで次の文章に移ろうとするところで、くだんの教師が「良し!」といった。「え?もう良いの?」と思ったけれど、なにしろ読むことに意味がある訳じゃないのだ。
 彼は木訥とした如何にもドイツ文学研究者然とした、実に尊敬すべき当時の教師像であったんだろうに、かなり激高していたようだった。しかし、私はなにしろ寝ていたんだからその場の雰囲気が読めていないのだ。今から考えると独語教師はそのあと何かいったに違いない。彼も相当心臓がバクバクしていただろう。私のことだから素直に恭順の様子を見せたりしなかったに相違ない。ひねくれていたに違いない。彼は腹にすえかねたに違いない。その試験の発表を見に行った私は驚いたのだ。クラスの中で彼から不合格判定を受けていたのはこの私たったひとりだったのだ。これは明らかに彼の意思表示に相違ない。クラスの仲間はかなりこの事実を楽しんだはずだ。
 で、その追試である。この試験には下の学年、つまり1年生も一緒に受けている。第二外国語を2年間も授業としてやっていたわけだ。それにしちゃ全く私の身体にドイツ語の片鱗すら伺うことができないのはどういうことかというと、こういうことなわけだ。で、一年下のくせに彫金なんてやったりするという変わった森君(彼の名前はフルネームで思い出せるぞ)がやっぱり受けていて私は彼の後ろに座った。で、わからない問題があって、それを正解しないと、この試験も危ないかも知れないということに気づいた。なにしろこの独語ひとつ落としたら2年生をもう一回やらなきゃならないという事態に遭遇するのである。
 私は彼の背中に呟いた。「森!下の方、見せろ!」なんせ、学年が一年上なんだから強権発動だ。すると、彼が答案用紙を下にずらして、身体を左に寄せた。お、あいつはちゃんと回答を書いているぞ。あっているかどうかなんてこの際どうでも良いのだ。彼の身体越しに教壇の方を見ると院生と覚しき試験官は座って見渡しているけれど、時々下を見ている。多分本を手にしているに相違ない。その隙に彼のその回答を自分の答案用紙の裏に一旦取り急ぎ写し取って、すっと様子を窺うように目をあげると!なんとその試験官と目があった・・・。やばいなぁ・・・。とそのまま目を落としてから、そおっとまた目をあげるとその試験官は何事もなかったかのように目をまた下に落としている。気がついていたけれど、どうせ追試に来る奴らなんだから、しょうがないんだ、と思ってくれたのか、さもなきゃ気がつかなかったのか。それは今でもわからない。
 回答欄にキチンと書いて試験は終わった。私はこの独語の追試のカンニングで一年を棒に振らずに3年に上がった。多分うちの学部がいい加減だったんだろう。隣の学部は2年生の三分の一から四分の一が3年生になれずにまた一般教養に留まるというので有名だった。立ち上がってそれほど経っていない学部だったし、超有名国立大学からどっと入った先生方が張り切っていた時代だ。
 私は未だに独語にはコンプレックスがある。ひょっとするとだからこれまで欧州のドイツ語圏になんの魅力も感じなかったのだろうか。あ、いやいや、そんなことはない。何故って、仏語圏にもいっていないぞ。
 追加書き込み
 今回の4大学での書き込みの実行犯が逮捕され、某新聞はこの報道に一面を割き、NHKはニュース速報を流すという大騒ぎであるが、私のtwitterのタイムラインでは概ね、マスコミの全精力を使ってそんなに流すようなアイテムではないだろうというマスコミの価値観と大きくずれている立場が大勢を占めている。どうも今のこの国のコマーシャリズムのみならず、公的機関の姿勢としても、受け止め側との間に大きなずれが見られる。
 私達には自身の受け止め方が問われている。