ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

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日本橋丸善高島屋横の「さくら通り」

先月末に日本橋丸善にて入手。

 なぜか知らないが、中村哲アフガニスタンの人ではない)というVancouver生まれの日系二世カナダ人が戦後の日本のエンターテインメント業界にいたということを私は全く気がついていなかった。ロイ・ジェームス、E. H. エリック、ビンボウ・ダナオといった日本語を駆使する外国人タレントは司会なんぞに多く出ていたのにはもちろん気がついていたけれど、サリー・中村には全く記憶がない。だから、この本を知ったときには、きょとんとして眼がぱちくり状態だった。手にしてみると、この本の著者は「寺島優」となっているけれど、実は息子の中村修だというのだけれど、なんでその実名でこの本を書かなかったのか、私には理解できない。著者は映画の東宝にいて、宣伝部にいたという。その後独立して漫画の原作をたくさん書いているそうだ。懐かしい時代の知らなかった話がたくさん出てくるのではないかと愉しみ。1年数ヶ月前の出版。今まで知らなかった。え〜ッとどこで知ったんだったか、もう思い出せない。

 AmazonUNIQLOに「潜入」ものを書いてきた著者のトランプ信者もの。これは面白そうだ。良く普通の日本人がこんな「潜入」ができたもんだなぁと不思議だったんだけれど、著者はかつてアイオワ州に留学した経験を持っているんだと冒頭に書いてある。なるほど、それなら面白いかも知れないと思って早速手にした。

 これはちょっと言及できそうもない。タイトルに目が眩んだとしか思えない。

 この人のことも全く今まで知らなかったというか、聞いたこともない。この本が日本経済新聞に掲載されていた彼の「私の履歴書」の増補版なんだそうで、全く日経新聞を読まない、というかむしろ積極的に読まない私が知るわけもない。「私の履歴書」がまだ続いていることにむしろ驚いたくらいだ。かつて勤めていた企業の当時の経営者の「私の履歴書」の原稿をベテランの方が代筆し、私が読み上げてテープに落とし、それを本人が聴いて最終稿に反映させるということをしていたのが、1982-3年の頃で、あれからもう40年ほども経つ。
 それはそれとして、それではなぜ知りもしない世界のアーティストの自伝のようなものを入手したのかというと、どうやら彼は大学が同窓のようで、同じ学部、しかし、一学年上らしい。彼は下からの進級で、私は一浪という決定的な違いがあって、当時の下からの連中は非常に良く組織だって連携が図られており、その辺の、いわゆる「どこの馬の骨か分からない」浪人学生とは行動半径は大いに異なっていた。

 それでもそのおかげで助けて貰ったこともある。朝の九時から始まる一時間目にまるっきし弱かった私は、英語のどれだったかを落とし、追試を受けるに至った(追試はこれだけじゃなかったけれど)。その時、クラスの中の下からの連中数名も同じ追試組で、彼等の話を聴いているとその先生は青学でも教えていて、彼等は青学で出た追試の問題を既に入手していた。試験前にそれを見せて貰ったら、まるで馬鹿にしたような安易な問題で、私はそれに満点で通過。当時「優」をとった。すると、まともに本チャンの試験で「良」だったクラスメイトは文句を言ったもんだ。なんで追試の奴が「優」なんだと。私もこれは理不尽だと思った。先生は追試は100点満点ではなく、80点満点にしたのだというけれど、こんな試験を落とすような奴はレベルが低いんだと安易な問題にしたらしく、それで私は満点だったというのだ。いや、私はここで自慢したいわけではなくて、当時のうちの大学も相当いい加減だったと云うことをいいたいだけだ。
 
 杉本博司は卒業してからLos Angelesへ行って写真を学んだそうだ。当時そんなことができるのはかなり裕福だったのだろう。その辺がこれを読むと面白く分かってくるような気がする。