ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

東京

 夜の間、雨がジャンジャン降っていたせいなのか、温度はすっかり下がっていて夜中に寒く感じて、窓を閉めたほどだった。台風が近づいているらしくて、空は薄曇りで、カッと照らない。
 5日間、テレビがない、ネットに繋がらない環境にいたおかげで、本を読むことができたのは面白かった。主に読んでいたのは1981年の「話の特集」だったのだけれど、30年前の本とは思えない位に食い入るように読みふけった。
 当時既に広瀬隆原発、核実験に対するスタンスが明らかになっていた。私は広瀬隆を読み始めたのは「赤い楯」の類だったのだけれど、その後「ジョン・ウェインはなぜ死んだか 」「億万長者はハリウッドを殺す」を読んでいった。当時、彼がどんな人なのか一度も見たことがなかったけれど、今度の福島の事件の結果ネット上やテレビでようやく彼の顔を見るに至ったのだった。
 あの雑誌には編集前記みたいなページが最初にあって、著者の近影とちょこちょこっとプロフィールが書いてあるのだけれど、田原総一郎は難しい顔をして写っていて、なんだか音楽室に置いてあるベートーベンのような(ちょっと持ち上げ過ぎか)顔つきをいつもしている。糸井重里もふさふさの髪をした芯のありそうな青年として写っている。
 たかだか30年のことなのだけれど、あっという間の出来事で、人間なんてものは賞味期間というのは存外短いものなのだなぁと考え込んでしまいそうだ。
 1981年の「話の特集」は表紙を和田誠が担当している。その9月号の表紙は妹尾河童で、なにしろこの雑誌に彼は欠くことのできない登場人物である。その妹尾河童が1980年度第12回のサントリー音楽賞を受賞している。もちろんこの賞はプレイヤーやコンポーザーが授賞している場合が多いけれど、この年は舞台美術家である妹尾河童が受賞し、特別賞として日本国際音楽コンクールの会長たる江戸英雄が同時に受賞しているのが面白い。妹尾河童と江戸英雄が並んでいる場面があったのだろうか。
 妹尾河童はこのインタビューの中で舞台美術のなんたるかというか、どんな段取りで創り出すかについて事細かく語っていて興味深い。インタビュアー(矢崎泰久だったか?)に応えて、舞台の様子がどの様になっているのかを得意の俯瞰で描いて見せたものがこの絵なんだけれど、これはとても面白い。妹尾河童は「こんなことをすると、次回からこれで描いてといわれるとイヤだなぁ」といっているけれど、実際にはどうだったのか聞いてみたいものだ。家の中を点検してはいないけれど、確か、彼の著作はすべてうちにあるはずだ。「少年H」まであったような気がするが、もう捨てただろうか。