ほぼ足りてまだ欲 その先

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なぜ逮捕したいのか

 先日の9.11デモは大量の警官隊がデモ隊の周りを取り囲み、途中から抜けることも、途中から参加することも禁止したというのは、これまでの反原発デモの中でも飛び抜けて異なっている。
 警察はこの種のデモを許可制にしている。許可を得られないとデモ行進することは許されなくなっている。デモというのはなんだといったら、抗議をするためにみんなで集まって歩きながらその意見を主張するという行為である。こういう主張が自由に行うことができないというのは市民の主張が制限されているということでもある。ネット上に書き込むことが自由に行うことができなかったならば、かなり問題として認識されることだろう。しかし、このデモという行為は現実には自由に行うことができない。公安警察の手に握られている。問題じゃないのか?
 以前若者達が渋谷に集まって麻生太郎の自宅を見に行こうと歩き出したら警察が来て、許可のないデモ行為は条例違反だといって逮捕されたことがある。みんなで歩く時にはプラカードを持っていたらすぐにそれは無許可デモだと見なされたということだったのだろうか。だとしたら、相当に強硬な、管理社会となっているということができるだろう。
 ところで、警察はなんでこんなにデモに対して過敏なのだろうか。オウム教に対してデモを行ったとしたら警察はこれほど強く管理しようとするだろうか。そんなことはないだろう。デモ隊が国会に突入して現政権を銃器を使って転覆させようとしたら警察は即刻逮捕しようとするだろう。それは行政の管理・警備機能としての警察の役割だから当然だろう。
 しかし、東京電力に対して、電事連に対して、経産省に対して「原発はやめよう!」と訴えかけるデモをどうして警察は弾圧しようとするのか。溢れかえらんばかりの見てすぐそれと判る私服警官を制服警官とともに配置し、デモ参加者に対して「お前ら」という言葉を弄してけちらかさんばかりにする必要があるのだろうか。
 もちろん権力に抵抗する市民は権力の手足としての警察にとっても抵抗勢力だという解釈だろう。しかし、その解釈は間違えている。君らは市民を守って行政役人を従わせる必要がある。間違っている。