ほぼ足りてまだ欲 その先

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憲法の改変

 ご承知のように自民党日本国憲法を改変しようと提案していて、その条文を発表している。何しろ前文を全部書き換えて、天皇を日本の「象徴」という立場から「元首」に変えようという発想から大幅に憲法を変えてしまおうというスタンスに立っている。ひとつひとつに論評をしていきたいけれど、取りあえず現憲法第9章第96条、自民党提案第10章、第100条について考えた。

現行憲法
第96条
 この憲法の改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票または国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

自民党
第100条
 改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

 まずこの憲法が何を規定しようとしているのか、ということが重要なのだけれど、これは国民の行動を規定しようとしてるものではないことを明確にしておかなくてはならない。これは国民に対して日本国政府が何をしなくてはいけないか、何をしてはいけないか、そしてそれはどんな思想に基づいているのかということを規定している。
 だから、この憲法をそう無闇矢鱈に改変してはならないのだということを肝に銘じておかなくてはならない。私たちはこの憲法を手に入れるために靖国に祀られている人たちを初め、祀られてはいないけれど、その背景で多大な犠牲を払うことになってしまった多くの国民、および当時は国民とされていた人たちの命という代償を払って手に入れたものだということを忘れてはいけないという点については自民党諸君も同意することだろう。
 そして、この憲法を改変するに当たってのまず第一の関門を低く設定し直すと何が起きるのかというと、時の権力となったグループもしくは個人の思惑のままに憲法を彼らにとって得となるかたちにどんどん変更することができる危険性が増すということだという点を大きく自らの胸に抱えておかなくてはならない。
そんなことが起きるわけがないという反論が簡単に飛んできそうだ。三分の二を半分に置き換えると、今度はその半分を四半分に置き換えようという動きに必ずや繋がる危険性が起きる。
 いや、逆のことも起きることが考えられるという点も認識しておかなくてはならない。それはどういうことかというと、「反自民的」な考えに立った集団にこの国の政府が乗っ取られないとも限らないということだ。他国の例を見ても良くわかる。
 つい最近でもエジプトの首相が自分の権力の拡大のために憲法をいじろうとしている。
 ビルマの軍事政権は正に憲法を変えてしまって、国会のメンバーには軍からの一定数の議員を確保しなくてはならないとしてしまった。
 権力は自らの保身のために往々にして憲法を変えようと動く。
 今の自民党がやろうとしていることは正にここに該当する。
 人間が作ったものだから、時代の流れとともにそれに対応して変化していくことがなぜいけないのか、ということになるだろうが、それであればわれわれはこの日本国憲法ができてからこの方、政府の暴走(戦争へひた走ること)を許すことがなかったという点でこの憲法はその前に私たちが政府に対して持っていた大日本国憲法に比べると数段その結果として優っていたことがわかる。
 権力を持ったものが「憲法を変える」といった時、それは国民を縛る方向に動くことは間違いがなく、それは憲法というものを誤ってみているということだ。