ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

債務不履行

 今回の中国による商船三井の大型(これこそ大型というに相応しい)鉱石バルカーの差し押さえ事件は日本の報道は余りにも一方的ではないか。これでは本当に昭和初期のマスコミの動きと全く同じである。

 一番詳細を解説していたのは雑誌「SPA」2014.04.22

  • 「順豊」(約6000トン)と「新太平」(約5000トン)の二隻を中威輪船公司が日本の大同海運に一年間の期限で用船に出した。1938年8月22日に日本政府により2隻の船は戦時徴用された。

 ここで理解ができないのが「船の所有権は当時の逓信省に移り、逓信省は大同海運にこの2隻の船を借し出すという形にして、大同側が引き続き運用。大同側は日本政府に傭船料を支払っていたという」という部分。徴用されながら運行している会社が用船料を払っているということは、当時の政府による徴用というのは民間の国際的契約用船料を日本政府が横取りしたということになるのだろうか。それは中国船主側にとってはなんのかかわりもないだろう。

  • 1938年12月21日、「新太平」が北海道沖で座礁し、沈没。中威側がかけていた船体保険の保険料は大同側が受け取った。一方、「順豊」も1944年12月25日、西南太平洋沖で連合国側に雷撃され沈没。

 船舶保険金(ここで書いている保険料は誤り)を大同が受け取ったというのも横取り。

  • 1947年、陳氏が戦勝国からの情報で、2隻がともに沈没していたことをはじめて知る。2年後、陳氏は上海市内で逝去。遺言で「引き続き日本に損害賠償を求めるよう」息子の陳洽群氏に託す。

 これを「賠償」というから誤解を招くのであって、これはいわゆる戦時賠償ではなくて、契約の踏み倒しで、明確に大同海運は債務の不履行。
 しかし、問題になるのは大同海運の債権債務を今の商船三井が引き継いでいるのかどうかという点に尽きる。

  • 1960〜70年代にかけ、香港に移民した陳洽群氏は日本を訪問し、日本政府に調査を依頼。その後、日本政府に調停を申し立てたり、損害賠償請求を起こしたが、棄却される。陳洽群氏はこの数十年間、調査や弁護士費用など、経費約60万ドルがかかったという。