自分の国は自分で守ろうといえば聞こえは良いよ。他の国もみんな軍隊を持って、徴兵制を取り入れて自分の国を守る制度にしているじゃないか。米軍が日本を守ってくれる訳がないじゃないか、だから自分の国の軍で守るのは当然じゃないか、それに反対する人は図々しいんだよ、という。
それは現憲法を変えようじゃないか、日本国憲法そのものが間違っているんだよ、という主張である。
その主張と、今度のアベシンゾーが強引に押し進めている集団的自営権の行使容認とは全く次元が違っている。
はっきりいえばアベシンゾーがやろうといっているのは米軍が行う戦争につきあえ、っていうことだ。この国を自分で守ろうじゃないかということとは全く違う話をしている。どうも、今何を問題とするべきなのかということが間違っている。もちろんそういう戦争に踏み切ることによって自国の産業が潤う、という観点からみれば、戦争に加担するというのは昔から良いネタである。何しろあっという間に物資を消費する。給料を上げてやって労働者が消費する物量から比べたら、非常に効率的な消費量である。それが続けば金が世間を回るということだ。
アベシンゾーはあたかも愛国者故にこの愚挙に踏み切ったかのごとき言動をとっているけれど、愛国者が他国に軍を進める理屈が立たない。
憲法の観点からいったら、これほど高邁なる憲法を持った国はない。それをあっという間にないがしろにしているだけではなくて、他国に軍を進める用意がある国となることによって、米軍に相対している勢力は当然日本を敵として認識することになる。日本が自衛権を振り回すと同じように、彼らも自衛権を振り回してきても文句はいえまい。北朝鮮もイスラム原理主義勢力も公然と相対する理屈を持つことになる。
その責任をいったい誰が持つのか。歴史を振り返って、こうした決断の責任を持つものはほとんどいない。そして犠牲になるのはその方針に振り回された一人一人の国民である。ただそれだけだ。