ほぼ足りてまだ欲 その先

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兵站

 つまり、軍隊に装備、備品、食糧を補給することだけれど、日本の軍隊はこの点をまったく無視していたそうだ。そうでなくては、あんなに大量の軍隊を外地で飢えに晒すことなんてしない。何しろ食糧については現地調達を旨としていた。つまり現地で食えるものを自分たちで手に入れろってことだ。もちろん買ったのかもしれないが、それはどういう対価で支払われたのか、疑問だ。慰安婦問題でも出てくる軍票という、軍が勝手に印刷したものを通貨として押しつけたことも考えられるんじゃないのかなぁ。
 もちろんそんなまどろっこしいことをしないで、住民の作物を勝手に収穫しちゃったり、家から持ち出したなんて事もあったかもしれないよねぇ。
 負け戦だったから放り出されちまって野草を喰ったりした話もかなり聴く。なんでも動くものは喰った、なんて文字も読んだこともある。ペリリュー島では戦後も隠れていた兵がいて、彼らは米軍の基地から食糧(糧秣といっていたか)をくすねていたと聞いた。これはかつても何かで読んだことがある。
 食糧のことだけじゃない。衣料だってもちろん換えもなかったことが想像される。なにしろ兵隊そのものが(負け戦だったからというのもあるけれど)まったく交代要員がいないってのがまったく間違っていた。そもそもそんな発想もないだろう。何しろ撃ちてし止まんだもの。
 それに比べると(もちろんだから無謀な戦争だったのだけれど)米軍は交代要員がいた。衣類も、装備もどんどん補給された。補給路が確保されているからできたのであって、日本軍だって補給路が確保されていればできたのだ、ということができるだろうか。そもそもそんな発想が軍上層部にあっただろうか。
 高度成長期の日本が一気に駆け上がった背景にはもちろん政治的な背景もいろいろあるだろうけれど、日本人の中に「欲しがりません勝つまでは」精神が叩き込まれていたからだといっても良いのではないのか。
 労働条件がいくら劣悪でも、汚れながら、耐えてやり抜くのが「日本男児」なのだ!精神があったからこそではなかったか。
 そんな状況で働き盛りを過ごしてきたあの頃の世代には、やれば金になるのになぜやらないという感覚から脱却できない。
 非正規で働く若者たちを見ていると、それがいやならなんでそうならない様に努力しないのか、なんぞという。そういいながら若者が使い捨てになるシステムを看過している。いや、そんなことはないというかもしれないが、時給で切り捨て、残業代も出さずに儲けようとする企業に荷担する自公安倍晋三を認めている。それはもう立派な「兵を思う気持ちがこれっぱかりもない旧日本軍思想」に堕している。

餓死(うえじに)した英霊たち

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