ほぼ足りてまだ欲 その先

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滲み

 岐阜大(岐阜市)の森脇久隆学長は17日の定例記者会見で、入学式や卒業式に国歌斉唱をしない方針を明らかにした。同大は従来、前身の旧制学校の校歌を式で斉唱しており、森脇学長は「伝統の歌を大事にしたい」と述べた。
 岐阜大は旧制岐阜高等農林学校(岐阜大応用生物科学部の前身)の校歌「我等多望むの春にして」を愛唱歌としており、森脇学長は「式には愛唱歌の方がふさわしい」との考えを示した。
 昨年6月、下村博文文部科学相(当時)が国立大の学長に対し、式での国歌斉唱と国旗掲揚を要請。森脇学長はその後の記者会見で「学内でよく話し合って対応したい」と話していた。同大は式で国旗は掲揚している。【岡正勝】毎日新聞2016年2月17日 19時11分(最終更新 2月17日 23時28分)

 馳浩文部科学相は21日、金沢市で記者団に、岐阜大学の森脇久隆学長が卒業式などで国歌「君が代」を斉唱しない方針を示したことについて、「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」
(中略)
 馳氏は21日、金沢市内での講演で「岐阜大学の学長が国歌を斉唱しないと記者会見した」と指摘。その後、記者団に「(下村氏の要請は)大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。学長が(斉唱しないことに)言及することはちょっと恥ずかしい」と語った。(朝日新聞2016年2月21日19時08分)

 国歌、国旗が正式に君が代・日の丸だと決まったのはそれほど昔の事ではない。自民党小渕恵三政権下の1999年(平成11年)8月13 日に公布・即日施行だから、まだ20年も経っていない。それまで習慣としてそう扱われていたのだというのにも驚くけれど、あの時に、政府見解として小渕恵三内閣総理大臣はこう答えていると毎日新聞が報じた事がある。(こちら

<政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。>
< 法制化に伴う義務づけや国民生活等における変化に関するお尋ねでありましたが、既に御答弁申し上げましたとおり、政府といたしましては、法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。>

 しかるに、東京都の職員・教員に対する東京都教育委員会による強制行動、あまつさえ待遇処分にも強制性は発揮されてきた。
 しかも、これに対して抗議をすると、どう反応が出てくるのかといったら、国家に対する忠誠心のなさだとか、愛国心の欠如、といったものだったりする。
 極端な事を云えば国歌、国旗を愛する気持ちが持てないようならこの国から出て行けとまでいうものだっている。
 私はこの国旗・国歌はやっぱりあの戦争が終わったときに、国が再生された暁に作り直すべきだったんだと心の底から思う。私たちはあまりにもあの戦争を引き起こし、国民を路頭に迷わせる事になった体制が、あれだけ振り回した事態を真剣に考えてこなかった。深い傷に知らんぷりをして、わからない振りをしてきた。あの時代、あの国旗・国歌はその体制があたかもナチスハーケンクロイツを振り回すかの如く、振り回してきた。その手垢、血、汗の染みついたものをその実態として捉える事をないがしろにしていくのにはとても忍びない。
 安倍晋三特定秘密保護法もさることながら、何かにつけて「政府がそんな事をするわけがないじゃないですか!」という答弁をする。政府というものはまさに「そんな事をする」のである。
 今の文部大臣の「大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。学長が言及することはちょっと恥ずかしい」という発言は大いに恥ずかしく私は思う。