ほぼ足りてまだ欲 その先

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国歌

 アメリカの各スポーツ中継なんかを見ていると、必ず試合開始前に国歌を誰か有名な歌手なんかがやってきて、朗々と歌いあげ、選手諸君は胸に手を当てて敬意を表しています。ま、昨今はSan Francisco 49ersのQuarter Back、コリン・ケイパニックがアメリカの黒人に対する警察の扱いに抗議をして跪いていて、私にはむしろあの方が敬虔なる意思を表しているように見えちゃったりするわけですが。
 ところがなぜか「君が代」がまったく同じように日本のスポーツ開始前に唄われて、誇らしく感じない。むしろ深い悲しみというか、イヤな感触というか、ま、とにかく爽快でない。
 それはやっぱりあの戦争に繋がる記憶というか、感触というか、感覚が蘇るからではないかという気がする。私は終戦後の生まれだから、まったくそんな記憶は無かったはずで、本人があの歌とともに蘇る記憶、感触、嗅覚、触覚を持っているわけではないけれど、多分その余韻の中で育ったのだろうと思う。小学校へ上がったときはもう既に占領下ではなかったわけだけれど、世の中全体があの歌、そして軍が持っていた旭日旗、日の丸にそんな色がついて回っていた。
 学校ではちゃんと君が代の歌い方を指導された。♪いしぃのぉ〜♪のあとにブレスを入れてはいけないんだとまでちゃんと教わった。それでも付いてしまっていた手垢を感じていた。
 しかし、今の人たちはそんな感触なんてまったくあるわけはない。だから、多分あの歌に対する感覚は私とはまったく違うんだろうと思う。
 なんの屈託もなく、歌える国歌だったらなぁとずっと子どもの頃から思ってきた。
 多分アメリカの国歌だって、あれからここまでずっとどこかで戦争をやってきたわけだから、そんな色が付いて聞こえている人たちもいるに違いない。