ほぼ足りてまだ欲 その先

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三番町宮内庁分室

 三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)は一昨年、百歳で他界した。その次男、桂宮宜仁親王(かつらのみや よしひとしんのう)は2014年6月8日に66歳で他界。1948年2月11日の生まれだから、わたしと学年は一緒だけれど、学習院政治学科を卒業したのは1971年だというから、どこか途中で一年余計に費やしていることになる。当時オーストラリア国立大(ANU 豪州には国立大といったらキャンベルのこれしかない)に2年間留学したというのは初めて知った。この点ははっきりいって羨ましい。

1988年(昭和63年)1月1日に、昭和天皇から「桂宮」の称号を与えられ、独立の生計を営む(ウィッキペディア)

 そんな細かいことは全く知らなかったし、この人をテレビでも新聞でも見た覚えもない。ひとつ歳上の長男にあたる𥶡仁親王(ともひとしんのう)がかなりいろいろなところで見かけたのに比べると極端に少ない。長男はなんと、昔の「MEN'S CLUB」にすら取り上げられていたことがある。三男は高円宮となったのだけれど、48歳で他界している。つまり、三笠宮は息子三人を次々に亡くし、最後に自分が他界したということになる。ちなみに長女簶子は近衛忠照(細川護熙の弟)の妻。
 なんでこんなことをここに記しているのかといったら、三番町の内堀通りをヨイショ、よいしょと坂を靖国に向かって歩いて行ったら、土壁風な塀で囲まれた結構大きな日本家屋風な一角があって、内堀通りに面した裏口のようなところに、元警官がいたようなボックス跡があって、こりゃやんごとなさそうな家だなぁと思って調べたら、宮内庁の分室とされていて、ここがどうやら桂宮宜仁くんの住まいだったようなのだ。う〜むしかし、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の隣にも宮内庁分室が存在するなぁ。あ、しかしこっちは三番町じゃないな。

実践倫理宏正会とはいったいなにものか。