ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

TMB

 Tour du Mont-Blanc(ツール・ド・モンブラン 略称TMB)といってモンブランやグランド・ジョラスといった国境に立つ山々をぐるっと回るトレッキング・コースってのがあります。とにかく、こうした隆々とした山々を見ながら歩くことができるんだというのが売りで、今や全世界から歩きたい人たちがわんさかと集まってきて、大きな荷物を背負い、そんなものはどこ吹く風か、という雰囲気を漂わせ、がっしがっしと歩いて行きます。
 ま、いってみれば、いわゆる健脚な方々のトレッキングなんでございます。私たちのようなへなちょと爺さんが歩くなんてことになったら、20歩歩いては「ひい〜ひぃ〜」いいながら休まなきゃならんというそんなトレッキングでございます。こういうのを本当のトレッキングっていうんですかね?だとしたら私がやっているのは散歩ってんですよね。
 某日、そんなことを気にもとめず、超満員のバスに乗って出かけました。バスの中は韓国からのグループで大騒ぎでした。私たちは終点にある小屋でトイレを借りながら珈琲を飲んで外へ出てきたら、もうほとんど誰もいません。へぇ、皆さん張り切って出かけちゃったんだなぁと思って外の道標を見ると、(E)はこっち、(T)はあっちと書いてあります。これが肝心。(T)がとっても易しい。(E)が普通だ、って聞いていたので、もちろん(T)を目指してまず車道をだらだらと降りていきます。だぁれも歩いている雰囲気がしません。つうことはバスに乗っていたほとんどの人たちは(E)に行ったということです。手元の地図を見ると、そっちはもっと高いところを歩くので多分景色はもっと開けているのでしょう。しかし、最初はかなりの登りになるはずです。
 でも分相応です。こっちは針葉樹に囲まれて、涼しくて、その木々の合間からお目当ての山が見えています。花の写真を撮りながらふと気がつくと、後ろから大きな荷物を背負った大人と子どもがやってきます。やり過ごしたときに当然挨拶をします。どこから来たのぉ〜?とのんびり聞きます。カナダの東部、米国のメイン州のその先にあるNew Brunswick州から来た高校を卒業したばかりの17歳の少年と、70歳になる彼のおじいちゃんだというのです。どこから歩いてきたの?と尋ねたら、TMB四日目だというんです。えっ!その歳で?しかしこっちへ来ちゃったんじゃ、TMB踏破っていえなくなっちゃわないのかなぁと人ごとながら心配しました。相前後しながら歩いて行くと「なんちゃって」ルートとはいえ、結構な登りにかかってきました。すると爺さん、結構途中で止まって息を整えています。そりゃそうだろう。あの荷物だぞ。私は登るのは大っ嫌いですから、頭の中で百歩数えては停まり、百歩数えては停まりながら、この境遇を恨みながら登りました。
 私たちが小屋に到着して、カプチーノを飲んでトイレを借りている間に、とうとう爺さん到着。外のテーブルに荷物を放り出して、中に入っていきました。私たちが「先に行くからね」といってバス停に向かおうと見に行くと、爺さんと孫はパニーニを手に、二人でボードゲームに打ち興じております。淡々とした、すげえ爺さんだ。
 さて、翌日です。わが行程管理者が「最初がキツくてあとが楽が良いか、あとがキツいのが良いか?」と尋ねます。両方イヤだと思ったのですが、あとがキツい方が後々恨みが残る、と「最初!」と答えます。
 バスの終点まで、こちらはそれほどの混雑ではありません。到着したところに、大きな宿泊施設があります。そして、外にたくさんのテーブルが出ていて、休めます。例によってカプチーノを頼んだら「おいしい奴ね!と張り切り姉さんがいいます。良い雰囲気だぞ。トイレが外に立っていて、利用しやすい雰囲気です。
 準備万端、歩き出します。山にかかるところにやっぱり道標が出ていたんですが、全てのルート(そんなに選択肢があったとは思えないんだけれど)に(E)がふってあります。(T)の選択肢がない!しょうがない、これが例の「はじめキツい」って奴なんだなと了解。ところが最初に滝が落ちているところから先、ず〜っと胸をつくような坂です。それも、片側がズド〜ンと落ちている、高所恐怖症の私が怖くて覗くことができないそんな道です。みんなガンガン追い抜いていきます。簡単に話をした、リバプールに暮らしていたんだけれど、今リタイアしてチェスターに暮らしている、かつて横浜に一年いたことがあるといって「こんにちわ!」といっていたカップルにはず〜ッと置いて行かれちゃいました。かれらもTMB踏破中だって。
 そして、山陰をひょいと曲がったときです。目の前にあるのはなんと雪渓!その下はざぁざぁと雪解け水が流れています。え〜っ!聞いてねぇよ!スイスの散歩道だったら閉鎖だぞ。でも、ここまで来たんだからなぁ。ポールで確保しながら、先人の足跡に足を踏み込みます。次の一歩が広いんだ!奴らの足は長い!確保したつもりだけれど、ズルッとする。滑ったら真っ逆さまに落ちていくぞ。頭の中に、「日本人高齢者だったことが判明」という見出しが浮かぶ。心の中では「くそ、なんだ、これ!」を繰り返しながら、一歩一歩足を前に運ぶ。がに股になっているんだろうなと。こわごわなんだろうなと。向こうに渡りきると、後ろに「大丈夫かぁ・・・」と声をかけたが、もう口先だけでしかない。人のことを気にかけている余裕なんかない。第一声は「あーやだ!もうやだ!」だったが、やり遂げた感がないでもない。また辛い道を上がる。
 ところが次に来たのは、なんともはや雪渓もかなり溶け落ちていて、とても上を歩ける状態ではなくて、水がどぉぉぉ〜ッ!と流れているのです!どうすんの!?周りを見回すと、どうも道から外れて、崖を下り、流れを跨ぎ、向こうの崖をよじ登っていっている様子。え〜〜っ!でも、ここまで来たんだからなぁ。(多分それで遭難するんだな)と思いながらも、気がついたら、行程管理者は既に崖を降りている。負けじと降りる。水を跨ぐ。そこまではまだ良い。よじ登るのかよ!もはや口をつくのは「ふざけんな!なんでこんなことしてんだ!バカヤロー!」・・・・とうとう「バカヤロー」が出てしまう。もはや、70歳の爺は泣きそうだ。鼻水くらいは出ていたかも知れない。この時くらい、ポールが邪魔だと思ったことはない。他の時は四六時中頼り切っているというのに。そのせいか、翌日から、私のポールはスムーズに出なくなった。ポールも怒ったのかも知れない。この随分昔に買ったポールは昔からあるスキーポールメーカーが作ったとおぼしき奴で、よく見ると小さなシールが貼ってあって、「歩行用補助具として使用しないで下さい」と書いてある。「じゃ、なんに使うために作ったのか、いって見ろ!」といつも文句をいっている。
 話はそんな悠長なことをいっている場合じゃないんだ。両手は泥だらけ、気がつくとハスがけにしていたカメラのソフトケースにすら泥がついている。ケツをついたりしたんで、多分おしりも泥だらけだろう。満身創痍という言葉が思い浮かぶ。心が折れそうになりながら先を行くと、何ということ!また雪渓だよ。しかも、だいぶん雪解けが進んでいるらしい。そこへ向かいから自転車が来た!なんだこいつら!男女ふたりは、自転車を持ったままつつつつぅぅうと渡ってきた。あれ?え?なんだって?こいつら、あそこの崖をどうするつもりだろうなんて、考える間もなく渡るしかなくなった。えぇ〜い!さっきも渡ったんだから!ッてんで、こわごわ、ズルズル、渡る。ここまで来たらもう力尽きる。その先は木造の橋で流れを渡り、百歩ずつ停まりながらの登りだった。土しか見ない登りで、ふと気がつくと、ありんこがいて、毛虫がいて、彼らはそんな世界も知らず、とっても限られた世界で暢気に暮らしてんだろうなぁと。
 とうとうRifugio Elena(エレナ小屋)にたどり着いたときは、頭の中も身体もフラフラ。あのカナダから来た爺さんと孫のコンビはここを登ってきたんだろうか。あの荷物で。多分、彼らは淡々と来たんだろうか。
 小屋でお客が昼飯の弁当を拡げている。あれ?こういうところって「No Picnic」じゃないの?どうも、この辺ではお茶をとるとか、ビールをとるとかすれば、自分の弁当を拡げても良いらしい。隣のグループはパンを取りだし、小さなツナ缶を開け、それをパンの上に拡げたり、パテをパンに塗ったりして食べている。
 ここの小屋でも肩にTMBのマークが入ったTシャツを売っている。今日はこれを買っても良いだろう!ここまで頑張ったんだから。私たちは車でも上ってこられるような道を下って戻ったが、多くのチャレンジャーはここからまた国境を越える峠に向かって、もっとキツい登りを何ということもないという顔で登っていく。多分世の中の常識としては何ということもないんだろう。
 あぁ、疲れた、怖かった。今こうして書いていても、ゾクゾクするほど怖かった。