ほぼ足りてまだ欲 その先

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中学

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 また昔の話をアップしておこう。
 小学校は三ついったんだけれど、中学は二つで収まった。といっても中学なんて三年間しかないからね。はじめの中学は清水に住んでいた時のことで、静岡大学学芸学部附属中学を受験して落っこちて〔これがケチの付きはじめで、ここから先進学期には必ず落っこちている〕、東海大学第一中学校と云うところにいった。小学校の正に延長線上にいた。ただ遊んでいた。そういえば暮らすに剣道部の剣持くんというのがいて〔まるでマンガみたいだけれど、あの辺には「剣持」という苗字は多い〕、彼に防具を全部着けさせて貰ったことがあって、結構気に入っていた。あのまんまいたら剣道でも始めたかも知れない。しかし、一年経ったら、上の姉が大学浪人をするといって家族は稼ぎ手の親父を残して横浜へ帰った。それで私は横浜へ転校する。関東学院の三春台にあった中学の編入試験を受けた。ここは受かったけれど、母親が私の知らないうちに大森の区立中学へ越境入学させた。遊んでいただけの静岡の中学から、区立中学なのに、やたら進学系の中学へ転校したので、全くついて行けていないことが暴露されてしまった。焦ったおふくろはどこかから英語の塾を探してきた。これが大当たりだった。俄然やる気になった。あっという間に英語は得意科目になった。ところがまんべんなく勉強をするとか、まんべんなく授業を良く聞いているというような、性格じゃないから、どんどん他の科目がおろそかになる。暗記しないとどうにもならないような、音楽の問題、美術の問題ができない。この四小節の音譜を読んでどの曲の冒頭か、横に書いてある曲名と線で結びなさい、というような問題ができない。これが徒になって都立高校の志望校に落ちるという、情けなさだった。ところが今になったら、辛うじて音譜を読むようになった。遅すぎる。55年ほど遅い。あの頃こうだったら、どこでも都立が受かっただろうに。その分、楽しんだってことだろう。
 二つ目の中学は二年間いたので、さぞかし同窓会なんかの連絡が来たりしても良さそうなものだけれど、多分生徒の数が多すぎて誰も把握していないんだろうか、全くそんな連絡が来たことがない。当然最初の中学だって、卒業したわけじゃないんだから、誰からも連絡はない。
 実は小学校だって、どこからも何の連絡も来ない。高校は何年か前に集まりに声をかけて貰ったが、その後は全く声がかかってこない。あんまり良い記憶がみんなに残っていないってことだろう。生意気だったのかも知れないなぁ。多分そんなところじゃないかなぁ。謙虚に生きてきたか、そうでなかったかはこんなところに現れてくるっていう訳なんだろう。

披露

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 柳家権太楼の弟子、柳家ほたるが今月「権之助」として真打ちに昇進するというのでそのお披露目のパーティーに呼んで貰った。関係者はみんな知っているんだけれど、彼はTHE ALFEEの大ファンで、中でも坂崎幸之助に心酔していて、坂崎に心やすくして貰っている。ツアー先にまで出かけていって、一緒になってご飯を食べたりまでしている。それで「之助」を坂崎から貰い、「権」を師匠から貰ったというわけだ。でも、坂崎によると「あれは芸名で本名じゃないから気安くあげた」という。本音かどうかわからないけれど、坂崎の本名は幸二という。実家は東武亀戸線と旧中川の間の立花6丁目にある酒屋〔今は既に廃業〕で、彼は次男坊だった。この繋がりになんで私が絡んでいるのかというと、学校時代の先輩の甥っ子がやっぱり坂崎の大ファンで、坂崎と権之助の繋がりを造ったから。
 披露宴では、坂崎が権之助に贈った後ろ幕が張られていて、関係者からやっぱり贈ってもらった幟が何本も飾られていた。パーティーが跳ねてからは、場所を移して、総勢8名の二次会に。権之助夫婦も加わって、話が弾んだ。坂崎の蘊蓄にはみんな頷くばかり。
 やっぱり難しそうだけれど、面白そうなライカの話、ビートルズビリー・プレストンが加わって、雰囲気が一気に変わった人間関係、という話になって、あぁ、やっぱりそういう効果ってあるんだなぁと激しく同意した。