ほぼ足りてまだ欲 その先

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金原亭馬生独演会

 今でも馬生といったら池波志乃のお父さんだと思われている傾向があって、気の毒なんだけれど、あれは十代目、そして今は十一代目の金原亭馬生。縁あって十年以上前から彼の会に年に2-3回顔を出すようになった。その縁というのは私の大学時代の先輩の中学の時の後輩が今の馬生さんで、私と同年齢。で、その4番弟子が後で聴いたら私の大学の後輩ってことで、なんだか浅からぬ縁。
 昨日がその馬生の独演会で毎年この時期に上野の鈴本で開かれる。馬生の弟子は今6人。馬玉と馬治が真打ちで、三木男と馬久が二つ目、小駒と駒六が前座というわけで割とバランスが良い。私が顔を出すようになったのが、三木男が入門したばかりだったから2003年のことじゃないかと。その時馬玉と馬治はまだ二つ目で、鰻屋の先輩の店での師匠の落語会に付いてきた。すぐに三木男が付いてくるようになった。
 彼は国士舘大中退でお祖父ちゃんがあの三代目桂三木助、叔父さんが四代目の三木助という血筋。この四代目は私の大学の後輩ということになる。病が癒えて復活した直後をラジオの「爛漫寄席」の収録で銀座のスエヒロで聴いたことがあった。
 三木男は来年9月の真打ち昇進が決まっていて、五代目をつぐんだそうだ。馬生に弟子入りした頃のぼぉ〜ッとしたお坊ちゃんを覚えているけれど、この子が三木助を継ぐのか、とちょっと複雑に思った記憶がある。彼のかあちゃん、つまり初代三木助の娘になるのだけれど、このかあちゃんが本人以上に三木助の名前を抱えて、正直、夢中になっているのをひしひしと感じる。二つ目になったばっかりの頃から独演会をやらせていたのも多分このかあちゃんだろう。馬久の後にでてきて、大学出の馬久を揶揄していたのを聴いて、おいおい、といいたくなった。
 最近の落語界は確かに大学出が大手を振っているけれど、そんなのは昨日今日の話じゃない。三遊亭円楽の青学、立川志の輔の明治大は有名だけれど、柳家権太楼の明治学院大だっている。柳家三三があしざまに大学出の前座をこき下ろすのも気分が良くないが、そんな風潮に乗ったかのようにこれを枕にしちゃいけなぇなと、気分が良くない。
 彼は毎回枕が聞こえねぇとか、早口が粋だと勘違いしてんじゃねぇのかと、爺さん、婆さんに受けが良くない。誰かが忠告してやらなきゃなぁと思うけれど、それは聞き手の仕事じゃない。席亭やいわゆる芸能評論家の仕事だろう。
 確かに馬久もなかなか「粋」といわれるその筋じゃないことは確かだろう。今日も間抜けな空き巣狙いの噺で、彼はこの種のぼけ噺を攻めていって兄弟子の馬治路線をやっていくのが良いだろう。チャラチャラしたその筋の受け狙いよりは、木訥とした不器用で、大受けはしないけれど、地道な噺家でやっていって貰いたいと、なんだか自分の子どもを見ているような気分になってくる。
 なにしろ馬生さんの弟子は馬久の後に、前座の小駒がいるんだけれど、これが大物。なにしろ先代の金原亭馬生の娘、池波志乃の妹がおふくろだ。つまり、小駒は志ん生のひ孫で、先代馬生の孫で、大叔父さんが志ん朝だってんだから筋金入りだろ。しかも、彼は子役で子どもの頃から芸能界を見ている。喋りはまだまだ全然だけれど、ひょいとした間に爺ちゃんを思わせる。こいつはどう見ても馬久を超えていっちゃいそうだ。芸能界ってのはそういうものだ。誰がどう見ても、後10数年後に彼が十二代目の金原亭馬生を継ぐことになるんじゃないのか。その時まで私は生きちゃいないと思うけれどね。
 というわけでいつものメンバーでそのあと天狗で打ち上げ。安いけど混んでいて、いつも入り口で8人で席が空くのを待っている。今日も腹一杯になって酒を三杯呑んでひとり二千円だった。